1: 名無しさん 2007/02/12(月) 17:31:04
高木アキミツの成吉思汗の秘密を読んだのだが、義経がチンギスになった可能性はあったのだろうか?
俺は衣川で死なずに逃げ延びたぐらいはあったと思うのだが。

50
7: 名無しさん 2007/02/18(日) 09:41:31
>>1
お笑い弱小民族の孔子、諸葛亮、千利休、ヌルハチは韓国人という説に似ている気がする。

90: 名無しさん 2007/05/06(日) 15:12:01
>>1
光秀=天海説
の方がまだ現実味がある

94: 名無しさん 2007/05/11(金) 14:06:11
>>90に同意
義経がチンギスか・・・・・・

それより安彦良和先生の安東(あんとん)
面白いぞー

327: 名無しさん 2014/05/07(水) 01:48:46.34
>>1もそうだけど
義経=成吉思汗説って高木彬光の小説から入る人が多いわけだけど

清と元の関係について小説ではまず
「清は満州族の王朝で元と関係無いでしょ」
とヒロイン役の大麻鎮子が突っ込んだ直後に
「いやデビス著の『清国総録』によれば~」
と探偵役の神津恭介が言い張って強引に話が進むんだよな

2: 名無しさん 2007/02/12(月) 17:45:15
遺言に日本を攻めろと言ったわけか

3: 名無しさん 2007/02/12(月) 17:48:11
面白いよねこの説
モンゴルの人からすれば噴飯物なんだろうけどw

4: 名無しさん 2007/02/12(月) 18:55:44
まずチンギス=義経としたら、義経がどうやってチンギスとしての人脈を得たのかが問題になる
チンギスの兄弟や子供や友人が存在していたことは否定できないからね

6: 名無しさん 2007/02/17(土) 22:48:43
>>4
家族や親戚に囲まれていた状況からして、よそ者の、しかも外国人が
すりかわる余地などなさそうに思えるよなw

5: 名無しさん 2007/02/12(月) 21:22:10
モンゴル統一直前に討ち取られて死亡するテムジン、
途方にくれる彼の一族の目の前にテムジンに瓜二つの日本からやってきた武者が・・・!



小説的にはこれで十分だな

8: 名無しさん 2007/02/18(日) 21:08:40
義経の北上に同行した一行って誰だろう?
弁慶も金売り吉次も、主だった家来は衣川でほとんど死んだんじゃなかったっけか。

43: 名無しさん 2007/03/03(土) 22:07:34
義経北行の一行の足取りについては、結構色々な古文書が残っているようだが、
総勢何人くらいだったんだろうな。
>>8のとおりで、衣川まで一緒だった家来は全て死んでしまったわけだし。

・・・静と落ち合って愛の逃避行?

9: 名無しさん 2007/02/18(日) 22:10:10
アイヌの社会とモンゴルに何か繋がりがあるんかいな。

11: 名無しさん 2007/02/19(月) 21:44:03
>>9
オホーツク文化を介して間接的に交易はあったかも知れない。

10: 名無しさん 2007/02/18(日) 22:32:45
本物の劉備は既に死んでいて、その後の劉備は日本から来た倭人なんだよ。

14: 名無しさん 2007/02/20(火) 08:09:54
>>10
V論尊先生っすか?

12: 名無しさん 2007/02/19(月) 21:51:00
佐藤忠信・・・カサル
弁慶・・・・・・・ベルグタイ
海尊・・・・・・・カチウン
    ・・・・・・・テムゲ

川越氏・・・ボルテ
静御前・・・クラン

こういうネタはとっくにやりつくされてそうだけどな。

13: 名無しさん 2007/02/19(月) 21:55:49
十三湊があったしねぇ

15: 名無しさん 2007/02/20(火) 10:42:22
この説はチ○ンがみたいで嫌いだな

18: 名無しさん 2007/02/23(金) 21:30:41
>>15
この説って「ムー」レベルの㌧でもなのは認めるが
日本人の大部分の認識も押しなべてそうなんじゃないか?

㌧でもを㌧でもとして楽しめるホビーカテの醍醐味を存分に味わってみようじゃないか



以前、この説は関東軍の謀略だった説をどこかの本でで見た記憶がある

35: 名無しさん 2007/02/28(水) 01:22:06
>>18
いいねえ。
さんざん妄想ふくらましたあげくに950くらいから
「んなわけねー!!」を連呼したい。

38: 名無しさん 2007/03/02(金) 10:40:54
>>18
>以前、この説は関東軍の謀略だった説をどこかの本でで見た記憶がある
義経=チンギス説の御大とも言うべき小谷部全一郎の現地調査は
日本軍のバックアップの元に行われたから、タブンそれのことかと。

小谷部の調査で出てきた証拠って胡散臭いのばっかしなんだよね~
ウラジオストックの方で見つかったと言う「大日本源義経墓」と掘られた石碑とか。
なんぼなんでも「大日本」はねぇ…
軍が関連してるのがバレバレ(苦笑

後、笹竜胆の紋の入った遺跡関連。
頼朝・義経の清和源氏が笹竜胆を使っていた証拠はなく、
源氏=笹竜胆になったのは江戸時代になってからの創作で、
義経関連の遺跡で笹竜胆が出てきたら、江戸時代以降の捏造と疑った方がいい。

45: 名無しさん 2007/03/05(月) 23:45:47
>>38
だから、それはもう具体的に明らかになっている。
>>23で書いた通り、沢田源内の捏造だよ。

16: 名無しさん 2007/02/20(火) 11:21:44
大いなる河=オホーツク海

17: 名無しさん 2007/02/23(金) 21:21:08
アゲ!
もっと知りたいから 書きに期待!

19: 名無しさん 2007/02/24(土) 09:03:35
英語ではゲンギケーハンと言うらしいな

20: 名無しさん 2007/02/24(土) 11:25:10
源氏の紋章と似てたとかいろいろあるらしいね。でも、やっぱモンゴル人の英雄だよ。
他国の英雄は実は日本人って、なんかチョンみたいでやだな。

21: 名無しさん 2007/02/25(日) 00:22:16
「舜天=源為朝」説もあったわなw

22: 名無しさん 2007/02/25(日) 00:28:38
舜天は為朝の息子説な。

548: 名無しさん 2022/02/08(火) 13:33:43.35
>>22
あれも年代は合うんだっけ
そもそも説の出典はどこよ?

23: 名無しさん 2007/02/25(日) 16:01:19
江戸時代沢田源内の「金史別本」という偽書が義経チンギス・ハン説の嚆矢らしいね。

24: 名無しさん 2007/02/25(日) 21:06:17
犯人は

天の雲すら盗めると豪語する


あいつだ!!


雲盗り暫平

83: 名無しさん 2007/05/02(水) 06:14:37
>>24は「さいとうたかお」のチラ裏、乙。
あたいの霊感出羽、実は「義経」=静御前=仁義巣韓。
男色家の頼朝が静(=女装した実の弟)の仮初の夫婦として呼び寄せた女が超戦略家で
あったことを隠蔽するため「義経追討」の下致を発した。その女は恋人の「金売り吉次」
や父親の弁慶と逃亡。女の武器で平泉氏の庇護を得るも急襲され絶望。流浪の果てに
異国の王に変化。「巴御前」伝説はその真相を伝える為のキーワード。

84: 名無しさん 2007/05/02(水) 09:06:36
>>83
ヴォォォォーイッ!?



北条政子が吠えてます(>_<)

25: 名無しさん 2007/02/26(月) 12:12:44
ウリナラ起源説を聞いた日本人のように、この説をモンゴル人が聞いたら不快になるんだろうか?

26: 名無しさん 2007/02/26(月) 16:11:13
>>25
そりゃ怒るだろう
ただしモンゴル人は郷土への執着心が希薄なので
同じ民族だった、くらいのニュアンスなら親近感を持たれるかも知れんね

27: 名無しさん 2007/02/26(月) 21:31:53
ストロング金剛がチンギス・ハーンだろ

28: 名無しさん 2007/02/26(月) 21:59:00
ムーレベルで思い出したが昔ムーで特集してたな!

30: 名無しさん 2007/02/27(火) 07:48:26
北海道の平取に義経神社があるよ

31: 名無しさん 2007/02/27(火) 08:03:28
チンギスハンの親はエゾカイというらしいね

32: 名無しさん 2007/02/27(火) 10:44:55
蝦夷開勇者

33: 名無しさん 2007/02/27(火) 11:51:42
イェスゲイ・バアトルじゃね?
バアトルは勇者の意

36: 名無しさん 2007/02/28(水) 07:22:44
>>33
当時のモンゴルには文字がなく、正しい発音は今となっては分からないらしいよ。
チンギスハンとジンギスカンみたいな感じで。

34: 名無しさん 2007/02/27(火) 18:59:28
テムジンは天神の意

37: 名無しさん 2007/03/02(金) 04:07:49
ネタないのかよ

39: 名無しさん 2007/03/02(金) 11:06:07
笹リンドウを使ってないという証拠もまた無いのだ!

40: 名無しさん 2007/03/02(金) 21:15:35
>>39
それ悪魔の証明……

41: 名無しさん 2007/03/03(土) 11:21:03
しかし、義経がチンギス・ハンである可能性も捨てきれない訳ではない。
最終的な結論は更なる調査に委ねるしかない!

42: 名無しさん 2007/03/03(土) 18:19:35
以上 マスコミ向けのコメントでした。

44: 名無しさん 2007/03/04(日) 00:54:53
ムー的にはwベンケイ一行が先に大陸に渡りある程度地慣らしした上で義経は渡ったらしい。

46: 名無しさん 2007/03/05(月) 23:51:38
ヨシ!じゃあ結論は出た事だし(・∀・)
みんな解散!

47: 名無しさん 2007/03/06(火) 01:21:41
いよいよ選挙かぁ
地元に帰らんと・・・

48: 名無しさん 2007/03/06(火) 02:31:28
このスレは終了しました。
本当にありがとうございました。

49: 名無しさん 2007/03/08(木) 17:03:24
まだだ、まだ終わらんよ!

50: 名無しさん 2007/03/09(金) 01:09:49
尾張

51: 名無しさん 2007/03/09(金) 22:12:13
テムジン=牛若丸 だと 静が強奪されてレイプされるので嫌

52: 名無しさん 2007/03/09(金) 22:14:40
それは河越氏の役どころなんじゃなかろうか。

53: 名無しさん 2007/03/15(木) 01:14:45
静タン(;´Д`)ハァハァ

54: 名無しさん 2007/03/15(木) 01:46:30
花田のお兄ちゃん=朝青龍説を論議しよう

57: 名無しさん 2007/03/16(金) 08:19:17
>>54
松坂も似てるよ

55: 名無しさん 2007/03/16(金) 00:26:47
そういえば、顔は似ているw

56: 名無しさん 2007/03/16(金) 00:33:00
定/金/伸/治のジ ハ ー ド 読めばいいよ
それで全部解決するよ 今文庫版も出て買いやすく読みやすくなったからね
あれをモンゴルと日本の指定図書にして小学校低学年~情操教育すればおk













と言ってみる 本気じゃないよスマソ

64: 名無しさん 2007/04/05(木) 00:35:05
義経はブサメン

65: 名無しさん 2007/04/05(木) 01:15:11
ならチンギス・ハンと同じだなw

66: 名無しさん 2007/04/05(木) 11:22:26
ここで山本義経説

67: 名無しさん 2007/04/06(金) 09:06:10
近江源氏

68: 名無しさん 2007/04/06(金) 13:27:28
言葉が通じないから却下

69: 名無しさん 2007/04/08(日) 14:00:29
そもそも鎌倉武士の戦い方しか知らん義経が、モンゴルの軽装騎馬による戦術
(機動力生かして遠距離から包囲して騎射)を出来るとは思えん。

72: 名無しさん 2007/04/08(日) 22:56:41
>>69
義経は、鎌倉武士の戦いというより、奥州藤原氏の武装形態の方が馴染んでいたのではないでしょうか?
馬を操るにしても。
おそらく、義経のトリッキーな用兵は、鎌倉武士でさえ違和感があったと思います。

78: 名無しさん 2007/04/18(水) 00:24:24
>>72
当時の奥州藤原氏は戦いに疎いし

70: 名無しさん 2007/04/08(日) 14:44:28
ひよどり越えを知らんのか

71: 名無しさん 2007/04/08(日) 15:09:59
断崖を駆け下りる奇襲とパルティアンショットになんの関係があると?

81: 名無しさん 2007/04/25(水) 01:02:48
>>71
パルティアンショットはイラン系遊牧民特有の技術、モンゴル人は使わない

87: 名無しさん 2007/05/03(木) 08:38:04
>>71
使うてば。匈奴時代にはすでに猛威振るってる。
「騎馬に乗りながら背面に射る」だけなら日本も源平合戦のころにはすでにあった。
が、鎌倉武士は軽装騎兵ではないし、騎兵のみの軍団による包囲殲滅戦法なんか
しなかっただろうが。

79: 名無しさん 2007/04/18(水) 01:50:59
むしろ義経のゲリラ戦法は、浪々の身の段階で身につけたものじゃないか。

80: 名無しさん 2007/04/19(木) 10:56:47
秀吉の野武士戦術のようなものかあ。

82: 名無しさん 2007/05/02(水) 05:33:17

85: 名無しさん 2007/05/02(水) 12:54:29
義経モンゴルに連れてったん、わしや(´・ω・`)

86: 名無しさん 2007/05/02(水) 19:45:44
ベルグタイは弁慶

88: 名無しさん 2007/05/03(木) 22:19:07
軍備は変遷がある。
モンゴル軍も
騎馬だけから、城攻め武器も使った軍団に代わっている。
地域の特性にあわせて、かえてもおかしくない

89: 名無しさん 2007/05/06(日) 13:02:54
義経=ジンギスカンは無理があるにしても、今で言う軍事顧問、兵法を編み出したのは同根の人種かもしれません。
高木氏の本にある通り、平泉の富の源泉がどこから来て、どこに消えたのか?本当に興味があります。
私は藤原3代の前の安倍氏に、その影響を見ますが、彼らは前9年の役後も結構生き残っているんですよ。
黄金はもちろん、鉄、交易品の数々は、吉次に代表される武装商人によってもたらされたのは確実でしょう。

彼らの行動範囲が、どこまで広がっていたのか。
最近、奄美の喜界島で、同時期の遺跡が見つかって大騒ぎになっています。
中尊寺に使われている夜光貝の産地は奄美産の様子ですので、ここすら武装商人団の1拠点だった可能性があります。
義経というより、この交易集団の範囲&行方が判れば、大陸への逃避行くらい何でもないかも知れません。

91: 名無しさん 2007/05/06(日) 15:17:01
俺なら日本3大DQNの一人に挙げられる自信がある

92: 名無しさん 2007/05/07(月) 03:23:56
90
光秀=天海説
は、私もかなりそう思う。
これでスレたててほしい。

89勉強になります。・



93: 名無しさん 2007/05/11(金) 02:43:36
11

306: 名無しさん 2014/04/26(土) 00:13:29.71
http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/25560558.html
98: 日本@名無史さん 2001/11/27 01:14:00
>>93
滅ぼされた元の子孫、成吉思汗の末裔はどうなったのでしょうか。
実は、その子孫たちが明を滅ぼし清を建てたのだというのです。
イギリス公使デビスの『清国総録』によりますと、
『成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は、明朝のために放逐されて、
蒙古の故地及び満州にのがれ酋長の娘と結婚して、諸公子を産んだ。
彼らはやがて勢力を増し、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。
清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、このためである。』
となっているのです。

311: 名無しさん 2014/04/28(月) 04:11:12.86
>>310
これは>>306>>308とほとんど同じだな
とりあえず
2ch含めネットで出回ってる清国総録の文は
『成吉思汗の秘密』が引用元だとわかる

323: 名無しさん 2014/05/02(金) 01:22:18.16
えーっと
>>306>>308>>310>>314>>318とコピペ元を遡ってきたけど
予想と違って末松・内田→小谷部の間に違いを発見
どうも清とか支那の総録という本も実在しそうな感じ
でもググってもそんな題名の本は出てこないしなあ

95: 名無しさん 2007/05/14(月) 21:13:51
オリジンの人か

98: 名無しさん 2007/05/26(土) 07:58:26
日本て恥ずかしいね
義経をチンギスハンって言ったり
小野小町を世界の三大美女のうちに勝手に数えてるし

99: 名無しさん 2007/06/05(火) 14:57:28
ってか義経=チンギスハンは同一人物と証明できますか?

100: 名無しさん 2007/06/05(火) 22:23:20
無理です。

101: 名無しさん 2007/06/26(火) 14:51:23
>>100詳しく教えてください。

102: 名無しさん 2007/06/26(火) 23:24:35
いえ、オレには無理です。

103: 名無しさん 2007/06/27(水) 01:09:39
おまいら日本の歴史人物を韓国人起源だと言われて怒るくせに
モンゴルの英雄に日本人起源なんて言うなよ

モンゴル人聞いたら怒るぞ

104: 名無しさん 2007/06/29(金) 12:53:01
>>103
日本人は特別な存在だから、日本人起源はとても名誉なことなんでしょうw

108: 名無しさん 2007/07/20(金) 23:34:06
まぁ江戸の講釈もんに癇癪起こしても始まらんだろ。
と思うくらい、江戸時代の義経像は高かったらしい。
実際はその下地を生かして幕府を貶めようとした明治期あたりだろ。
だからこの伝説は復讐をテーマにしてる点で単なるマンセーじゃないってとこだな w

109: 名無しさん 2007/08/15(水) 05:02:29
元の記録では鎌倉幕府との戦闘(元寇)の他に蝦夷地のアイヌとも戦闘したという記録があり、
現に海を渡りアイヌと戦闘したとか、逆にアイヌが海を渡り、モンゴルと騎馬戦したという記録がある。

だから、源義経=チンギスハン説ではなく、更に北方に落ち延びてアイヌにかくまわれて、
アイヌを鍛えたと見るほうが適切ではないか?

114: 名無しさん 2007/10/08(月) 00:29:37
>>109
いや、あれはクビライがモンゴル皇帝を名乗った1260年に樺太アイヌらしい「骨嵬」とかいう
連中が、間宮海峡を渡ってアムール川周辺にいてモンゴル帝国に帰順していた女直などの現地住民を
襲撃して来たんで、彼らがモンゴル帝国側(クビライの方だったと思うが)に救援要請を出したのが
きっかけ。

クビライ政府側がたびたび起きる襲撃を対して、メインの対カイドゥの中央アジア遠征とか南宋遠征、
日本遠征などの合間を縫って応急処置的に現地の女直などの兵力を編成して迎撃に当たらせていた。
最終的に弘安の役が終わったクビライの晩年に再び女直などを中心に編成した兵力一万ほどを狗橇
(イヌゾリ)に載せて凍結した間宮海峡を渡って樺太に侵攻させ、当地の「骨嵬」の勢力を討伐して
臣従させた、ってことらしい。あとで樺太に軍を駐留させたそうだが、騎馬部隊はどうだったろうか。

>>110
これについては論文がある。主要典拠は『元史』と『高麗史』だったと思う。
中村和之「『北からの蒙古襲来』小論―元朝のサハリン侵攻をめぐって―」『史朋』26号 1992年

110: 名無しさん 2007/08/15(水) 06:02:52
元のなんていう文書なの? 

111: 名無しさん 2007/08/17(金) 11:21:17
元朝秘史

112: 名無しさん 2007/08/17(金) 18:09:14
チンギスハン=本能寺で逃げ延びた信長説を強くもってた時期もあったが、
モンゴルに失礼なので流石に捨てた。

115: 名無しさん 2008/01/28(月) 20:31:56
>>112
時代が変だろ。

116: 名無しさん 2008/01/28(月) 22:08:26
>>115
超時空戦国大名オダノブナガ。
姉妹作品に超時空太閤トヨトミヒデヨシ、超時空宰相コイズミジュンイチロウなどがあります。

125: 名無しさん 2009/06/28(日) 17:45:05
>>116
読みてーーーーー

113: 名無しさん 2007/08/19(日) 06:17:26
ヌルハチと相撲とって舎弟にしたり、イワン雷帝と一戦交えたりした後、
ラストはインディアンの酋長になったアレか?

123: 名無しさん 2008/03/17(月) 00:45:42
>>113
本宮ひろしね

117: 名無しさん 2008/01/29(火) 09:10:14
超時空糞宰相ゴミズミジュンイチロウ
あんな日本をガタガタにした売国奴、非国民をおなじような場所に立たせるでない。

118: 名無しさん 2008/01/29(火) 23:58:13
これ日本史板にあったスレやん。
何で歴史難民板にあんの?

119: 名無しさん 2008/02/07(木) 12:57:15
新説・日本の歴史第21弾 義経北行説を検証する http://home.att.ne.jp/banana/history/Dai21-Yoshitune.html

120: 名無しさん 2008/03/01(土) 03:21:00

121: 名無しさん 2008/03/01(土) 05:03:11
つ沢田源内

122: 名無しさん 2008/03/09(日) 18:59:10
http://pcpf.jp/yukihisa

こいつが悪いんだろ?

126: 名無しさん 2009/08/02(日) 04:32:58
義経=チンギスカン説は根拠を示さない朝鮮人の種々起源説と違って、色々それなりの根拠がある。モンゴルに失礼だというが、チンギスカンの生誕から青年期の記録が曖昧であることも確かである。
一方、義経いなければ平家は滅びなかったろうと言われるほどの軍事天才の義経が死んだ以降、客観的なチンギスカンの活躍が始まる。すなわちこの説を否定するアリバイがない。そして、この説の根拠は私が記臆する限りこれだけある。
1義経の首が夏のあついさかりに一月もかけて運ばれたこと(義経の首の判別が不能)
2義経の身代わりになった伝説がある
3義経の北行伝説がある。(この場合、数騎の移動では伝説にならない。かなりの数の移動があったと考えられる)
4チンギスカンはモンゴル人ではなく外国人である可能性がある
5旗揚げの時、九本の白旗をあげた(源氏は白旗、義経は九郎判官と呼ばれた)
6チンギスカンの鎧は鉄でできていた(これはチンギスカンの軍隊が鉄の鎧を着ていて強い軍隊であったことを予想させる。ちなみに旧来のモンゴルの鎧は革製であった。)
7チンギスカンは漢字が読めた
8チンギスカンが作らせたモンゴル文字は50音順に近い。しかも,日本語のかなと同じものがいくつか含まれている(ただし多くの文字はウィグル文字を基本としている)
9チンギスカンの作戦が義経の作戦と似ているところがある
この他にも色々根拠があり,単なるこじつけではない。偶然にしてはあまりにもできすぎているような気がします。

128: 名無しさん 2009/11/13(金) 23:25:21
モンゴルは親日らしい。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/MONGOLIA/kankei.html
>2004年11月に在モンゴル日本国大使館が実施した世論調査では、「日本に親しみを感じる」と答えた回答が7割を超えたほか、
>「最も親しくすべき国」として第1位になるなど、現在のモンゴル国はきわめて良好な対日感情を有する国となっている。


モンゴルは中国を嫌っているらしい。

モンゴルの極右勢力が過激な「反中」運動を展開―中国紙
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0721&f=politics_0721_005.shtml


>歴史的に何度も中国からの侵攻を受けたモンゴル国は、中国に対する激しい敵対心を抱いており、
>中国人がモンゴルで襲われるほどである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E4%B8%AD


>歴史的に中国との関係は悪く、今でも一部の民衆には反中感情がある。
>例えば日本人観光客が中国人に間違えられるとトラブルに巻き込まれ、
>中国関連の施設に「看板等に使用している漢字を3日以内にモンゴル語に変えなければ、強制的に撤去するかペンキで塗り潰す」
>という過激な内容警告文を出され、さらに独立記念日に活動家に襲撃される事もあるくらいである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%9B%BD

129: 名無しさん 2009/11/13(金) 23:26:17
モンゴル国の国際関係
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%96%A2%E4%BF%82

南に隣接する中国とは、伝統的に関係が悪い。「娘が中国人と結婚したら一家の恥」との通念が今でも通用しているし、国政選挙でも中国との関係改善の是非が争点になる。
モンゴルが漢字文化を一切受容しなかったのも、モンゴル人が中国人を嫌ったためである。
モンゴル人にとって「中国人のようだ」というのは最大の悪口となり、選挙でも「あの候補は家系に中国の血が入っている」というのは最大のスキャンダルとなる。
日本人を含めた東洋系外国人が、街頭で「中国人か?」と聞かれることはまずない。中国人は蔑称であり、喧嘩を売っていることになるからである。
通常であれば、「中国生まれのモンゴル人(または韓国人)か?」と聞かれる場合が多い。ただし、日本とはまだ縁遠いため、日本人かと聞かれることは少ない。
モンゴル人と中国人との衝突事件、あるいは中華料理店に対する襲撃事件は、ニュースにもならないほど日常的に起きている。
学校教育で、中国人に敵意を煽る教育は行なわれていないが、家庭教育で敵意を植え付けている場合が多い。
モンゴル人の子どもが語る「学校の怪談」でも、中国人による殺人事件が頻繁に登場する。
現在、中国人が嫌いなモンゴル人は9割、好きなモンゴル人は1割と言われる。
衣料品や、家庭電化製品は、中国製がほとんどであるが、モンゴル人は、「中国の商品は構わないが、中国人の思想が気に食わない」と語る。

130: 名無しさん 2010/10/31(日) 01:43:09
確かに義経=チンギス。ハン説は私も若い頃には、馬鹿馬鹿しいと考えたが 類似点が
200以上も有っては嘘とも思えない チンギス。ハンがモンゴルで死ぬ時に残した言葉も
気になる 我 大命を果たし思うこと無し 故郷で死にたかったと言っている モンゴルが
故郷では無いと言う事 我はニロン族の出身なりニロン族のキャート族なりと言っている
ニロン族とは日本族と言う意味でキャート族とは京都族で有る それと源頼朝がチンギス ハーン
がテムジンの時にモンゴルに調査団を派遣している 何のための調査団か今もわからない
チンギス。ハーンが死んだ時 その巨体は一丈から八尺の並の体格に縮んだと書かれている
  

131: 名無しさん 2010/10/31(日) 08:27:04
義経=チンギスハンは、俺の中では、もう確信になってしまった。

132: 名無しさん 2010/11/02(火) 07:47:25
北条の支配に反発する武士が義経を追って、モンゴルへ渡って行ったと
いう事は、考えられないだろうか?
モンゴル騎兵と武士は流鏑馬ができるという意味で似ていると思うのだが。

133: 名無しさん 2010/11/03(水) 12:45:30
終了

134: 名無しさん 2010/12/03(金) 02:00:57
チンギスハーンはある年の8月15日に死んだと伝えられているが不思議な事に。その日に
京都の鞍馬山では義経の霊を慰める祭りが行われる チンギスハーンが死んだ日に
なんで義経祭りがおこなわれるのか?

135: 名無しさん 2010/12/03(金) 17:25:59
義経=チンギスハンだからに決まっておろう。

136: 名無しさん 2010/12/21(火) 22:47:52
俺個人の考えかる知れないが チンギス ハーンを漢字で書けば成吉汗となる
これを訳したら吉を思って成功した男となる 吉(静御前)静よ俺は成功したど
訪ねてこいと言う意味になる

140: 名無しさん 2011/04/24(日) 18:11:50.87
>>136
それも一理ありますな。

137: 名無しさん 2011/02/17(木) 15:19:09
チンギスハンの墓を発掘したら不味いだろ
大した教育受けてないテムジンがあの戦術あの力量は有り得ないし
チンギスハンよりも側近部下がそんまま付いていたと思われるから厄介だ

138: 名無しさん 2011/04/03(日) 12:27:37.41
モンゴル人力士がほとんど日本人と変わらない
レベルで流暢に日本語喋ってるのを見ると、
逆に義経が数年でネイティブレベルにモンゴル語を
マスターしたとしても不思議はないと思う。

139: 名無しさん 2011/04/24(日) 09:23:05.36
高木彬光

141: 名無しさん 2011/04/26(火) 02:20:40.65
チンギスハーンはモンゴリュ

142: 名無しさん 2011/04/28(木) 09:57:29.50
最近読んだ本に
「義経は小男、チンギス・ハーンは大男だから義経=チンギス・ハーン説はありえない。むしろ弁慶=チンギス・ハーンだ」
と書いてあった

143: 名無しさん 2011/04/29(金) 03:10:02.02
一の谷、屋島、壇ノ浦で活躍した約200騎の義経の家来はどこに消えたのだろう。
馬の世話をする者を合わせると500人から600人の武者は義経をしたって
平泉まで向かった可能性がある。平泉にあった軍資金はどこに消えたのか。
吉野山で鎌倉の追っ手200騎に包囲された「義経かくれや」では、佐藤兄が身代わりになって
脱出している。
吉野山から平泉まで、うっそうとした日本列島を縦断して鎌倉の包囲網をかく乱して
脱出した一騎当千の武者たちが東北の田舎サムライに簡単に殺されるだろうか。

144: 名無しさん 2011/04/29(金) 03:38:15.49
力道山は関脇まで相撲界で活躍してからアメリカに渡っている。イチロウも20代を日本球界で活躍してから
アメリカに渡って世界新記録を出して今も活躍している。
義経は15歳から20歳までの間、どこで何をしていたのだろう。藤原氏の勢力範囲は岩手から北海道にかけて
あったはずであるから、無駄に過ごしていなかったと思う。アイヌのホンカイ様伝説はこの時期のものでは
ないだろうか。もし、この時期のものであるならアイヌの中に義経をしたって家来になったアイヌ武者も
たくさんいただろう。

145: 名無しさん 2011/05/03(火) 01:20:10.47
義経郎党は20歳代に日本全国北海道、東北、関東、中部、信越、近畿、中国、四国、山陰、九州
を駆け巡っていた。寝泊り、食料、馬のえさ、案内人はどうしていたのだろうか。
これだけ行動範囲の広かった武将は義経郎党だけである。
藤原秀衛は佐藤兄弟に相当の金塊を持たせたのではないか。一の谷の逆落としでは、馬のあつかいに優れた武将を
数百人必要とした。これらの武将の心をひきつけるには人格とオーラと資金が必要であったと思われる。
これらの武将が大物の浦で忽然と消えるとは、とてもおもえない。
ばらばらに分かれて平泉に向かったのではないだろうか、
家のあとを継ぐ者は地元に戻っただろうが、義経のオーラに魅了された剣に自身のある次男坊、三男坊は義経に夢をかけて平泉まで
追いかけただろう。
義経一党と泰衡の家来を合わせると3000騎4000騎になるから、少数で
大群を討つ義経戦法からすると十分鎌倉に勝つことが出来ただろう。
なぜ、戦わなかったのか。兄と弟だったからだとおもう。日本の歴史上、弟が兄を殺して天下を取ったことがない。
残るはひとつ消えることである。

146: 名無しさん 2011/06/15(水) 16:15:07.99
鞍馬寺の本山は比叡山延暦寺である。延暦寺は天台宗であるから、当時も日本全国に天台宗の
お寺があったはずである。
鎌倉の追手からどのように逃れて吉野山から平泉まで約1000キロの山道を到達できたか?
稀代の英雄を20代の若さで失うのは惜しいと思い鞍馬寺の僧侶が延暦寺の僧侶に相談して
寺から寺えと駅伝のように逃がしたのではないか。寝泊まり、食料、道案内はすべて解決する。
寺であるから秘密も守られるし、鎌倉も手出しはできない。しかし、完ぺきではない。平泉に
到着すると、鎌倉もうすうすきずく、秀衛が存命のうちは手出しはしないが、亡くなるとそうはいかない。
鎌倉と一戦交えても所詮朝敵である。平将門の乱と同じで日本全国を敵にすることになる。
藤原氏の生き残る道はない。一か八かの考えで、義経の首を差し出し藤原氏は鎌倉に従うとの意思表示をして生き残りをねらった。
平家を滅ぼした鎌倉は、義経の首ではなく何かの理由をつけて藤原氏を滅ぼすことが定のうちであった。
どの道、義経と藤原氏は滅ぼされる運命にあった。こんなことは藤原秀衛は百も承知していたとおもう。だから子供のころから義経を
可愛がって平泉まで連れてきたのである。鎌倉も義経が生きていることは知っていたはずである。源平の戦いほどの戦はしなかったし、
泰衡の首はとったが、義経の怒りを買うほどのことはしなかった。

147: 名無しさん 2011/06/20(月) 01:23:11.62
義経を慕って平泉の地へたどり着いた武将達は数百騎いたのではないかと思われる。これらの武将達の生活費は相当な金額であり、いつまでもやっかいになってばかりいられない、いずれはこの地を去らなければならない。
鎌倉と戦うにしても、自分達の身内と戦う事になるのでそんな事はしたくない。戦う事で自分を主張したい武将達にとって農業・漁業で生計を立てることは出来ない。戦いを探して他の地に行くしかない。
これまでに身につけてきた力を試してみたい、そこにその力を試す大きな大陸がある、軍資金の金は黒竜江の地にしこたまある。死の床で秀衛から渡された錦の袋の中にあった地図を頼りに少しずつ北海道に渡ったのではないだろうか。
北海道に渡った武将達は二手に分かれた。一方は弁慶を頭とした先遣隊であり、先に大陸に渡り足場を作っておく。北海道の西に小さな岬があり弁慶岬といい京都に武具を注文した弁慶がその地に立って船を待っていたと伝えられている。
一方は義経を隊長とした本隊で樺太に渡り、北上して尼港事件のあった地であるニコライスクに行き、砂金の宝庫である黒竜江の下流域で軍資金を確保して先遣隊である弁慶隊に合流する。
ニコライスクで伝えられている伝説として「この地にたどり着いた日本の武将がこの地を去った後、漢国の王様になった」というものがある。これは間宮林蔵がこの地の酋長から聞いた口碑伝説を北海道テレビが二十数年前ドキュメントとして放送していた。

148: 名無しさん 2011/06/20(月) 03:49:00.91
大陸に渡ったが金に困って満州あたりで山賊として生き、山賊として死んだという説を聞いたことがある

149: 名無しさん 2011/06/21(火) 01:33:27.72
十数年前、満州族の血を継ぐひとに「成吉思汗」の漢字を提示したら、チェンジースーハンとの答えが返ってきた。
高木あきみつ氏の「成吉思汗の秘密」の中に書いてあった「克羅」の漢字を提示したら、クローという答えが返ってきてその意味は「満州では成吉思汗のことをクローと呼んでいる」と、また「源義経」の
漢字を提示したら、「ウエイーチー」と答え、その意味は「満州の昔の歴史と地理の本の名称」だと言っていた。
そのひとは、お婆ちゃんが満州族の出身だといっていた。今はシナに同化され純粋な満州族は残っていないとも言っていた。日本で資金をためカナダへ移住して家族を呼ぶのが夢だと言っていた。

150: 名無しさん 2011/06/23(木) 00:24:49.31
成吉思汗はウラル山脈を越え、ドイツの辺りまで攻め込んでいったようである。ドイツ人の成吉思汗に対する恐怖心は大変なものだっただろう。ドイツ人の事であるからただ恐怖心だけで何もしなかったとは思えない。
シーボルトが鎖国の日本にオランダ人に成りすまして訪れたのは、ドイツ皇帝の命を受けて成吉思汗の研究にきたのではないか。有名なシーボルト事件は日本の地図を海外に持ち出そうとした。
「恐怖のアンゴルモアの大王」が源義経である事を知っていて、それを調査してドイツ皇帝に報告してまた日本に戻ったのではないか。

151: 名無しさん 2011/06/23(木) 23:38:56.63
先遣隊である弁慶隊はウラジオストクへ渡ったのではないだろうか。智謀の優れた弁慶がウラジオ辺りの部族と戦ったり懐柔したりして
足場を固め本隊である義経隊を待ち合流する。合流地点は黒竜江の中流域ではないだろうか。なぜか、義経隊が手に入れた黄金は数十トン
に及ぶと思われるからである。大量の黄金を一度に運ぶには船を使い、馬に引かせて上流に上って行くのが楽だし、大陸の中央上部に構えられる。
ちなみにウラジオとは、日本語(浦塩)ではないだろうか。ロシア語では「東方を征する」という意味らしいが、
ロシアが沿海州を手に入れたのは1860年の北京条約であるから義経の時代から約450年も後である。その地にはシナ人・アイヌ人・日本人の
東洋人(ツングース系)の人間が住んでいたのではと思われ、浦塩がロシア語の東方と言う言葉になったのではないか。
それからナホトカとは、国後(クナシリ)・択捉(エトロフ)・はば舞(ハバマイ)などアイヌ語ではないだろうか。

152: 名無しさん 2011/06/24(金) 00:12:28.16
源義経のとてつもない才能を見抜いたのは、
5歳で平清盛が自分の子供と比べ比類なき才能を恐れたが、殺すには忍びなく鞍馬寺に預けた。
10歳で鞍馬寺と延暦寺の僧侶が認めて清盛との約束を破り、僧侶にさせるのではなく自由にさせた。
15歳で藤原秀衛が認めて平泉に引き取った。
20歳から25歳で一の谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いで天皇及び日本全国の人々が認めた。
そして、30歳以後世界へと羽ばたき、アレキサンダー大王・フレデリック大王と肩を並べる大王に
なったのではないか。

153: 名無しさん 2011/06/24(金) 00:46:36.60
もう議論はいいから確定させないかお前ら。

154: 名無しさん 2011/06/24(金) 01:40:08.14
世の中の噂話の99%は仮説に過ぎない

155: 名無しさん 2011/06/24(金) 12:33:10.17
義経ゆかりの地にはほとんど行きましたが、シナ大陸・樺太にはまだ行っていません。
これまでのところでこれは変だと思うところは列挙してください。

156: 名無しさん 2011/06/24(金) 12:53:06.54
財布が立派なのに中に入れるお金が空っぽでは話にならない。財布以上のお金を入れるのが
普通である。中尊寺の金色堂の中のお経を手に入れるため、数トンの黄金をシナに送ったという
資料があるらしい。確認はしていない。

157: 名無しさん 2011/06/27(月) 03:45:57.02
藤原三代のの栄華は黄金の力ではないだろうか。(高木アキミツ氏の成吉思汗の秘密より)源氏・平氏・藤原氏と日本を三分した栄華
が忽然と消えた。その後に東北どこかが繁栄したのであれば問題ないのであるが、今日まで繁栄した形跡がない。繁栄の重要な条件の
何かがなかったと考えるしかない。昭和50年代から60年代の日本の繁栄は世界のお金が日本に入ってきたからである事を考えると、
藤原氏の栄華の元は黄金ではなかったか。その後その黄金の供給が途絶えたので周到をむかえたと考えるのが正しい解釈ではないだろうか。
今日、日本は未曾有の不況に陥っているが、その原因は日本にあったお金がみんな中国に行ってしまった(円高)から起きている現象である。
どこかが出っ張れば、どこかがしぼむ。藤原氏がしぼんだあと出っ張った所はどこかを考えたとき、日本国内の源氏は異常に繁栄して黄金の
お寺を作ったという記録はない。日本国内になければ外国と言う事になる。即モンゴル帝国の繁栄と言えば、飛躍しすぎるかも知れないが、
ジンギスカンの初期の遠征費用・武具などの軍資金はどこから出ていたのだろうか。一回の遠征費用は莫大なものである。敵のものを略奪
しただろうが、はたしてそれだけでまかなえただろうか。自分達にも死傷者が出ただろうからモンゴル兵が段々減って言ってしまう。
略奪・虐殺ばかりしていたら恨みを買ってその後の統治が出来ないし、新たな侵略も出来ない。スパイを入れたり、敵の中を金で懐柔したり
しただろうから莫大な軍資金の後ろ立てが必要であったはずである。
最初からジンギスカンには軍資金があったと考えるしかない。藤原氏に供給されていた黄金が何時からかジンギスカンに供給されるようになった。
その供給源は黒竜江の下流域であり、現在でも世界の金の生産高の多くはシベリアの地と言われている。
これでジンギスカンの世界制覇の能力・兵力・資金の三大要素が解決したのではないだろうか。

158: 名無しさん 2011/06/30(木) 11:33:18.23
私の実家は日本初の荘園と言われている所のど真ん中です。
国道をつくるということで、私が小学校の時から土地の買い上げが始まりました。
買い上げから完成まで50近く経っていますが、まだ完全には完成していません。
それは発掘があったからです。学生の時、アルバイトで発掘に参加しましたが、
古墳時代にものがいろいろ発掘されました。そのなかで鎌倉時代のものは祖母から
聞いていたこととある程度一致していました。口碑伝説なるものはバカにできない
ものであると感じました。

159: 名無しさん 2011/07/06(水) 01:01:19.12
源義経が成吉思汗である証明が完成するのには、後10年かかると思っています。
それは証明のしようがないし、証明したからと言ってもだから何なんだで終わりだからです。
ノストラダムスの予言「アンゴルモアの大王の復活」によって証明されるのではないかと考え
ました。この予言は人類の滅亡と考えられていましたが、見事にはずれました。
私はこの解釈を人類の滅亡ではなく1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見から
500年続いた白人支配の終わりと考えたからです。
1999年7の月を7月のある日に清和源氏の血を引く義経の生まれ変わりが誕生した。
「アヌスがその前後平和の名の下に支配するだろう」をアメリカが前後10年世界を支配すると
解釈すると、1989年が共産主義の崩壊(ソ連の崩壊)、2010年が資本主義の崩壊(黒人大統領オバマの出現、
日本の原発事故など)となります。資本主義を支えたエネルギーの危機により、これから10年
世界は混沌とした時代になるのではないでしょうか。その後に何かがあり、そして証明される。

160: 名無しさん 2011/07/06(水) 08:16:25.91
1999年7の月のある日がアンゴルモアの大王の誕生日という所までは同意見です。
ただノストラダムスはチンギス・ハーン=源義経説など知らなかったでしょうね

あまり関係ないけど1999年7月といえば朝青龍が三段目に昇進した月ですね(白鵬は2000年10月25日に初来日)。

161: 名無しさん 2011/07/07(木) 16:32:40.07
1992年の宮沢総理の頃でした。TBSのテレビ番組で次の総理は誰でしょうというものでした。
小沢一郎氏、羽田つとむ氏、伊東正義氏、梶山静六氏、小淵恵三氏など、その当時の次期総理候補を
10人くらいのパネルを出して東欧の予知能力のある婦人が当てるというもので、これはおもしろいと
思って観ていました。
その婦人の見立ては「次期総理はこの中にはいません」でした。アナウンサーがびっくりした顔で橋本
龍太郎氏を指して「この人ではないですか」と質問したら、その婦人は「この人は総理に成るかもしれないが、
次期ではない」との答えでした。呆れた顔をしてアナウンサーは早々とコマ―シャルにしました。
その後に次期総理になったのは、当時熊本県知事のパネルになかった細川護煕氏でした。
その時を思い出して予言者なるものは「何かを持っている人」なのだと思うようになりました。
それから、その婦人は「将来世界が混とんとした時代になるが、その時日本人の中から世界を救うひとが現れるだろう」
と、アナウンサーが当時騒がれていた「オウムの麻原か?」と質問したら、「いや違う人だ」と答えました。 
はたして婦人の予言が当たるか?
予言どうりに世界が動いたとしたら、これから混とんとした時代が10年くらい続くことになる。

162: 名無しさん 2011/08/11(木) 11:49:52.51
チンギス・ハンは地元民に「クロー」と呼ばれていた
九郎とは源九郎義経と同じ呼び名である
「大男チンギス・ハンは死して小男に戻った」的言い伝えがあると

読んだ本で覚えてるのはこのくらいで大半忘れた

163: 名無しさん 2011/08/11(木) 21:28:46.49
数年前に見たお話では、義経氏は不老不死でまだ生きてるって・・・。


ごめんなさい、オカ板に帰ります。

164: 名無しさん 2011/08/19(金) 07:56:59.80
朝から爆笑した

http://www.hachiman.com/books/89350-281-6.html
>軒下に「源義経」と記す符を掲げる部落があるとの証言などが多数収録

165: 名無しさん 2011/08/20(土) 05:36:18.61
成吉思汗の孫であるフビライは元の都大都の紫禁城で中心的宮殿の名称を
「太和殿、中和殿、保和殿の総称。紫禁城の中心的建造物。外朝三殿ともいう。」
としたようである。
清朝の愛新覚羅氏も北京の紫禁城でその名称を継承している。
ところが、中華民国の初代総統である袁世凱は総統としての初仕事として行った
ことはその名称の変更であったと言われている。
これらを合わせると清和源(元)氏ということになる。
高木アキミツ氏の著「成吉思汗の秘密」では、成吉思汗を日本読みすると「吉成りて汗思う」
となり、それは「吉野山の約束を果たしたが、それでも静のことを思っているよ」となる
ようです。
清朝の愛新覚羅氏を日本読みすると、「新しきを愛し羅を覚える」となる。
羅とは「克羅」クローであり、「我らは成吉思汗の子孫である」となる。
元王朝は明のため万里の長城の外に追われたが、その血は女真族に継がれ
英雄ヌルハチの誕生となった。



166: 名無しさん 2011/08/20(土) 06:06:44.17
当時、シナでは日本は和国・倭人と呼ばれ、その旗印は日の丸であったようである。
昭和も和であったが、アメリカを中心とする白人の非情な日本つぶしによってトタンの
苦しみをあじわされた。
日本では、1000年に一人大英雄が現れるようである。
東日本大震災も1000年に一度の大震災であった。そろそろ1000年に一人現れる
大英雄が生まれてきてもいい時期になっているのではないか。

167: 名無しさん 2011/08/20(土) 07:39:16.85
また朝から爆笑

http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_7.htm#3
>東部西比利亜及び満洲等を旅行して彼地に日本式の古い神社の在ること及び笹竜胆の紋章を用ゐ居ると且つ満洲人に姓を源と名乗る者が多いと聞くこと等である。
>ハバロフスクの博物館には其の地方より發掘したといふ日本式の古き甲胄の一部及び笹龍膽と木瓜の紋章がある朱塗の古き経机があるといひ、或はハバロフスクに以前義経を祀った神社があったといひ、興安嶺にも日本式の神社があるなど一々枚拳に遑がない。

168: 名無しさん 2011/08/20(土) 15:32:26.15
先の大戦において、山本五十六氏は義経の鵯越の奇襲を参考にして真珠湾を奇襲攻撃
したと思われるが、義経と山本氏ではその器量に格段の差が有った。
私ごとき凡人が批評するのは変であるが、稀代の英雄義経と山本氏を比べるとその才能の
大きさが天と地ほどの差があったようにおもえるからである。
山本氏は何をもって日米戦の勝利と考えていたのか。義経は平氏を滅ぼし三種の神器を奪取する
ことを完遂してその勝利と考え、それに向かって作戦を考えて一の谷・屋島・壇ノ浦で戦って勝利した。
山本氏は真珠湾の奇襲の勝利だけである。
孫子の兵法にも敵の愛するものを奪えとある。ワシントンのホワイトハウスを占領してルーズベルト大統領に
降伏文書の署名をさせなければならなかった。

169: 名無しさん 2011/08/21(日) 08:12:14.93
三たび爆笑

http://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=henjin&dd=16&re=126
http://www2.ezbbs.net/16/henjin/img/1233055965_1.jpg
>・黒竜江の沿岸に日本人が鎌倉時代に創立せる永寧寺あり
>・ハバロフスクに笹竜胆の紋を着ける武像を祀る廟あり
>・小興安嶺における日本人の古蹟
>・満州人源姓を名乗り義経の後裔と称す
>・興安嶺に日本式の神社存在す
>・北満州の王稜に笹竜胆の紋ある墳墓あり


170: 名無しさん 2011/08/22(月) 09:52:18.53
http://electronic-journal.seesaa.net/image/82P82U82S82S8D86.jpg
昔見た時、モンゴル紋はドコが笹竜胆だよ全然違うだろとしか思わなかったが
あらためてよく見るとそうでも無いな
源氏紋の中央の花すぐ下の小さな○の辺り
この辺が下へ押し出される様に降りてくるとモンゴル紋になるのか、なるほど
モンゴル紋の○は日の丸とか小谷部がトンデモ言うから先入観持ってしまって今まで気付かなかったわ

171: 名無しさん 2011/08/23(火) 02:07:20.77
9月15日に鞍馬寺で義経の法要がある。(700年以上毎年欠かさず行われているとのことである)
興味のある人は行ってみるといいでしょう。
五条の大橋から15歳の子供が奥の院まで走って帰ってきたらしい。
剣術の道場主の娘をたぶらかして兵法書を読み漁ってたらしい。
社務所の係りの人の言では、山道を走って帰ってきたとのことである。

172: 名無しさん 2011/08/23(火) 02:08:48.86
9月15日に鞍馬寺で義経の法要がある。(700年以上毎年欠かさず行われているとのことである)
興味のある人は行ってみるといいでしょう。
五条の大橋から15歳の子供が奥の院まで走って帰ってきたらしい。
剣術の道場主の娘をたぶらかして兵法書を読み漁ってたらしい。
社務所の係りの人の言では、山道を走って帰ってきたとのことである。

173: 名無しさん 2011/08/24(水) 09:42:35.36
大英博物館の成吉思汗像にも笹竜胆あるって話
話だけで画像見た記憶無いわ、ホントにあるのか?

174: 名無しさん 2011/08/26(金) 11:00:16.27
1.藤原三代の栄華の後ろ盾は何だったのか?
2.その後栄華が続かなかったなぜか?
3.義経騎馬隊の資金源(馬のえさ、行軍費用)はどこから調達したか?
4.成吉思汗の軍資金の謎(数万の兵を数カ月から数年動かすには相当な費用が必要である)
  秀吉は小田原攻めのとき、町をつくってしまった。
  謙信は農繁期には地元にかえったし、佐渡銀山もあった。
  信長の後ろだては堺の商人だった。
  毛利の後ろ盾は石見銀山だった。
5.モンゴルにはその後英雄はでないのか?

175: 名無しさん 2011/08/26(金) 12:54:02.71

176: 名無しさん 2011/08/26(金) 17:49:09.15
http://electronic-journal.seesaa.net/image/82P82U82S82R8D86.jpg
義経=成吉思汗説ではあまりに有名な「義(経)将軍の碑」(の台座)
ロシア軍に運び去られたという碑石はその後どうなったのか
そもそもこの碑の正体は一体何だったのか
もう永遠に謎かねえと長年思ってた

碑があったのは当時のニコリスク(双城子)、現在のウスリースク
何気にWikipediaでウスリースクの項を見てみたら
いきなり出てきて大爆笑www
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AF
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/91/Ussuriysk-Stone-Tortoise-S-3542.jpg/220px-Ussuriysk-Stone-Tortoise-S-3542.jpg
思わず次々とググると出るわ出るわ、何だほとんど解明されてるじゃんw
中岡中佐はハバロフスクで何を調べてきたんだよw


177: 名無しさん 2011/08/31(水) 01:17:22.67
孫文がイギリスのロンドンに留学中、日露戦争での日本勝利の報を聞いて喜び外へ出たところ、
日英同盟のイギリス人は暗い顔をしてうつむいていたと言う話は有名である。
白人が世界の覇権を握ったのは産業革命以後である。それまではイスラムの方が強かった。
ノストラダムスの予言が白人の世界支配の終わりであると心のどこかできずいていたのではないか?
そして、成吉思汗が日本人であるときずいていたのでは?
だから、ポーツマス条約では満州の地を日本ではなく清朝に帰属させた。そして、オレンジ計画で
日本滅亡の計画を立て実行した。ところが共産ソ連の台頭によりその計画は頓挫した。
皮肉な事に共産ソ連をつぶすと日本が復興し、日本をたたくと今度は共産中国がその牙をむいてくる。
そうしているうちにアメリカ自体が混血アメリカ人に支配され身動きできなくなってきた。

180: 名無しさん 2011/10/02(日) 00:50:14.37
小谷部全一郎氏「成吉思汗は義経なり」P268
「成吉思汗の子孫54代の時に日本から蒙古に再現して蒙古を救うと言う予言もある」
54代とは、どういう数え方なのか解らないが、日本の天皇陛下が125代で2670年
であるから約1000年と考えれば、そろそろ現れてもいい頃である。

181: 名無しさん 2011/10/02(日) 02:41:33.86
予断であるが、東ジャワに「ジョヨボヨ王の予言」と言うものがあり、1942年にその予言が実現された。
その予言とは、白い杖を持った白人に奴隷にされていたジャワ人を北から来た黄色い人々が解放してくれるといった
ものだったらしい。

182: 名無しさん 2011/10/02(日) 03:19:59.43
10年ほど前に、源義経の文字を提示した時に吉林省出身の満州族の血を引く女性はウエイーチイと読めたが、
西安出身の男性と福建省出身の女性は読めなかった。
言い伝えとか伝説とか予言とかは、その地方・部族に細く長く伝わってゆくのではないだろうか。
そして、その中にひつこい人がいて何かに書き残してある。
東日本震災の津波についても、ここまで逃げるようにとの石碑があったようである。
地震から数十分あとの津波であるから石碑を知っていた人々は助かったはずである。

183: 名無しさん 2011/10/20(木) 01:25:48.86
義経の日本での大きな戦いは3つ、一の谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いであるが、
その中で義経の天才的な才能が発揮されたのは屋島の戦いだと思う。
一の谷の勝利を確信して戦う前に平氏一党が屋島に逃れることを予測して次の一手を打っていた
いたからである。

184: 名無しさん 2011/11/02(水) 01:03:16.83
一の谷の逆落としでは、平氏は不意をつかれて敗れた。絶対攻めてこないところから攻め来られたから敗れたのであった。
簡単に勝負を決したから当たり前のように思えるが、中身が大変濃いのである。
まず、騎馬の名手をどうやって70騎あつめたか、山内一豊でもわかるように普通の武将が馬を養うのは大変な事である。
そして、その馬を自由にあつかって一の谷を下るのは、もっと大変なことである。
真珠湾の奇襲のときもパイロットは桜島で血のにじむような訓練をした。義経騎馬軍団も山陰に迂回しながら騎馬兵の選定と訓練を
相当したはずである。脱落者けが人も多数出たと思われる。
鵯越から一望して全体のどこを攻めれば有効かを確信して一気にせめたとと思われる。
ここでは平氏の兵力を半減させる事と兵糧を半減させる事が目的であったから、平氏を混乱させて海に追いやった。
このとき、屋島を奇襲するために義経は次の一手を打っていた。騎馬で淡路島を渡れば平氏に察知されるので、
淡路島の向こう側を黄金の力で水軍を懐柔して数時間のうちに四国に渡っている。
そして馬を走らせ守りの準備の後ろ側から屋島を攻めた。ここでも平氏は兵力を失って遁走した。
騎馬による機動力を使った流れるような鮮やかな勝利であった。

185: 名無しさん 2011/11/02(水) 01:23:36.16
これだけ鮮やかな戦い方を目の当たりに経験した騎馬兵は義経に心酔して
家来になってどこまででも着いてゆこうとするのではないだろうか。

186: 名無しさん 2011/11/06(日) 12:47:34.47
ところで奥州藤原氏の勢力圏ってどれくらいまであったんだ?
吾妻鏡によれば基衡が鷲の羽とアザラシの皮を贈ったとのことなので
北方と交易をしていたということはいえそうだが、それがシベリアや
モンゴルまで及んでいたかどうか気になる。

逃げるにしても北海道やシベリアの地理知識の有無、交易の結果としての
外国語知識、支援してもらうにも奥州藤原氏との友好関係があるかないか
といったことは逃亡の成功率に大きくかかわると思うのだが。



187: 名無しさん 2011/11/07(月) 09:58:46.57
>>186
>シベリアやモンゴルまで及んでいたかどうか
及んでいたという確かな証拠は何も無いな

188: 名無しさん 2011/11/09(水) 00:41:17.46
こういうのも後の義経=清祖説に何か絡んでるような気もしないでもない


373 : 名無し三等兵 : 2011/11/08(火) 20:29:47.75
加藤清正は朝鮮出兵(文禄の役の際)猪突猛進独断専行で鴨緑江を超えて満州に攻め入り、そこに割拠していた女直族と一戦交えてる。
これが明の軍事介入を招く(朝鮮王の懇請もあったが)結果となり、石田三成がこの一件を秀吉に報告するや秀吉は激怒、本国へ召還され、蟄居処分になった。

377 : 名無し三等兵 : 2011/11/08(火) 21:45:07.01
>>374
明がゴールなのに、隣の女真につっこんじゃいかんだろ。

378 : 名無し三等兵 : 2011/11/08(火) 22:00:51.80
>>377 
首都から逃げた朝鮮の二人の王子を追ってる勢いに任せて突っ込んでったらしい
その女直族の中から、十数年後、ヌルハチと云う一人の英雄が登場して、女直族を統一、満州族と名を改めさせ、その子孫は長城を超えて中原に侵攻し、明に代わって大清国(満州語で”ダイチングルン)清朝を興すのである。

189: 名無しさん 2011/11/09(水) 02:53:04.04
面白そう

296: 名無しさん 2014/04/01(火) 07:15:43.45
【偽史】トンデモ歴史を語ろう【珍説】 - 日本史板
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1392376970/
190 :日本@名無史さん :2014/03/26(水) 13:50:57.42
本能寺の変や坂本龍馬暗殺の黒幕探しはイデオロギーと言うより、
小説家が好き勝手に面白おかしく解釈して膨らませるのが原因ではないの?
義経のモンゴル逃亡説や上杉謙信女性説なんてその典型。

191 :日本@名無史さん :2014/03/26(水) 13:54:35.15
>>189
アテルイの時代の蝦夷は日本馬の産地だったらしい。
大和だけじゃなく大陸にも輸出して大きな財源になっていたそうだ。
田村麻呂との戦いでも騎馬戦に長けていたので大和軍は苦戦した。

190: 名無しさん 2011/11/10(木) 01:29:16.02
私は以前、「義経は15歳から20歳までの5年間何をしてたのだろうか」と記述したが、この時がまさに義経の成長期で奥州藤原氏の勢力圏である
奥州から北海道にかけて弁慶以下数十人を連れて騎馬兵としての訓練をしてたのではないか?
北海道のアイヌには二つの勢力があり、そのうちの一つの勢力に「ホンカイ様」伝説があるようである。(成吉思汗の秘密より)
ホンカイ様は米の作り方と魚のとり方をアイヌに教えてくれたので神様と崇められた。
これは義経が農業・漁業を知っていたわけではないから、義経の部下が教えたものと考えれば、つじつまがあう。
アイヌと仲良くなるまでには相当の戦いがあり、それを勝ち抜いて自信をつけ、平泉の藤原氏の元に帰った。
そして、頼朝の挙兵を聞きつけ秀衛の制止を振り切り鎌倉へ向かった。
このような経過ではないだろうか。
東西を二分した源平の戦いに完全勝利をするには、それだけの実戦経験と熟練騎馬兵の存在なしにはありえない。

191: 名無しさん 2011/11/10(木) 15:46:45.38
これは推測であるが、義経は藤原氏の恩に報いることと、自らの力を試すために北海道を平定した。
この情報(義経の才能)は秀衛に報告されていた。
だから、秀衛は鎌倉へ出発するとき、佐藤兄弟を伴わせ「いざ」という時に義経の身代わりに成るようにさせた。
これは秀衛が義経の才能を見込んで大事にしただけでなく、奥州藤原氏の生き残りのためであった。
そして、佐藤兄弟に軍資金として金塊を持たせたのではないだろうか。

192: 名無しさん 2011/11/10(木) 16:17:11.21
「坂の上の雲」の中で、秋山好古とフランスの老兵法家の話として、「機動力を最大限に生かして味方を勝利に導いたのは
歴史上ナポレオンとフレデリック大王だけだ」と自慢したのに対して、好古が義経の戦い方を話したところ、「私の辞書に日本の義経
と言う武将を加えておこう}というような会話があったような気がする。

193: 名無しさん 2011/11/17(木) 18:44:22.24
「崖の上のポニョ」の中で、
まで読んだ

194: 名無しさん 2011/12/10(土) 04:40:09.84
 
チンギス・カンは、ゲンジ(源氏)ス・カン
http://2nd.geocities.jp/jmpx759/0204/46/305.html
チンギス・カンの日本語の発音はおかしい。
本来は、ゲンジス・カンだ。
このような故意の発音ねつ造は、いわくのある人物に多い。
マホメット、などは、その典型だ。
( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p001.html )

195: 名無しさん 2012/01/26(木) 13:24:26.92
源義経は官位を褫奪され、さらに、諱まで変えさせられ
朝敵となってしまったが、
その後、諱の回復、官位の回復などの沙汰が無く
いまだに朝敵扱いである。

196: 名無しさん 2012/02/06(月) 00:36:56.03
フビライの時に元寇があるのだが
これって義経が鎌倉幕府に対する仕返しをして
日本を統治してその思いを遂げようというものなのでしょう
そんなわけないのかな

197: 名無しさん 2012/02/07(火) 04:02:23.34
この話するとモンゴル人スゴく怒るらしいぞ
剣道のルーツは韓国と言われたら腹立つのと同じ

201: 名無しさん 2012/03/06(火) 13:17:59.48
>>197
ぬっちゃけ同じことやってるよな
山田長政がセナピムックだとする根拠もないし

日本もその辺はそうとうアレだ

198: 名無しさん 2012/02/13(月) 23:28:27.42
10年以上前だと思うけど、東京の新宿でモンゴルからの留学生が言っていた。
「ジンギスカンは日本人だと言ってるけど違うよねえ」「だけど、おもしろいんだよ」
「九州のことをモンゴル語でキュウシュウ、北海道のことをホッカイドウと言うんだよ」
とそんなに怒っていなかった。満州族の人も怒っていなかった。
怒る、怒らないではなく真実を知りたくないか?

199: 名無しさん 2012/02/22(水) 00:32:41.07
「成吉思汗は義経成り」の決定的な資料はどこかにあると思っている。
鞍馬寺のどこかに大事の納められているにではないかと思われる。
700年以上、毎年9月の15日に義経の法要をされているということは、とてつもない事である。
一介の哀れな武将のために700年も休まず法要をするだろうか?
とてつもない繋がりを感じる。義経の北行を鞍馬寺の阿砂利が助けたとしたならば、義経にとって
藤原秀衛と並ぶ大恩人である。義経が天下の大王成吉思汗になっていたならば、鞍馬寺に手紙と贈り物を送っていた
はずだと思う。たぶん、ある時期がきたら公開するようにと成っていると思う。
もうすぐ(10年から20年)だろう。なんの根拠もありません。

200: 名無しさん 2012/03/06(火) 11:47:11.35
もっと妄想してくれ

202: 名無しさん 2012/03/07(水) 20:03:22.12
チンギス義経説=一流スパイ、シーボルトが事実としている事を
民間レベルでトンデモ説と見られつつ細々と語られている。
韓国サウラビ説等=一級資料は無く、国際的議論もされないトンデモ説が国家レベルで大々的に宣伝されている。


ぜんぜん違うだろうが!!

203: 名無しさん 2012/03/08(木) 12:48:49.20
シーボルトがスパイなら、
シーボルトが日本に流す情報を信じるなよ(笑)

204: 名無しさん 2012/03/08(木) 16:54:48.07
この板で暴れてる連中みたいな
だれがいいものでどこの国が悪者で
誰は誰より偉い、みたいな幼稚なものの見方を排して
ただ研究対象として見ればじゅうぶんおもしろいんだがな。
もちろん「なんでこんな話がまかりとおったのか」という部分まで視野に入れるのは前提だけど。
歴史はどっかの知事へのネタ提供のための学問じゃないんだから。

205: 名無しさん 2012/04/20(金) 02:12:42.67
神武天皇の男系の血を継承するD2遺伝子をもった男子は日本列島に約50%存在する。
その中でも特別な遺伝子(日本民族を統率する遺伝子)をもった男子が数百年に一人現れる
ようだ。平家では、平清盛、北条時宗、織田信長など。源家では、源義家、源頼朝、義経、武田信玄、
徳川家康など。藤原家では、藤原道長、藤原秀衛など。そのほかにも、足利、新田、島津、毛利など。
そろそろ大英雄が出てもいい頃である。

206: 名無しさん 2012/04/20(金) 02:30:20.92
暦から推測すると、900年に一人大英雄が現れるような気がする。皇紀2700年である
から3x9=27である。日本では、3の数字は非常に重要な数字である。
アンゴルモアの大王を期待してもいいのではないか。

207: 名無しさん 2012/04/22(日) 00:35:46.38
「成吉思汗は義経なり」が出鱈目だと言うのであれば、

その根拠を示してほしい・・・

208: 名無しさん 2012/04/26(木) 00:29:39.66
「源義経は成吉思汗にはなりえない」という確たる証拠はありますか。

だれか、あったら出してほしい。

209: 名無しさん 2012/05/03(木) 12:26:25.81
悪魔の証明ですよそれは

210: 名無しさん 2012/05/06(日) 10:14:41.21
ジンギスカーンの故郷はバイカル湖以北で、
東胡系遊牧民は住まず、トルコ系北方遊牧民の縄張りだからな。
モンゴール中核王族は東胡系であったことは判明しているので、
義経がまず東胡系弱小部族を服属させ、
彼らを率いてモンゴール故地に移動して云々、
といった仮説を建てることが可能ならば、
義経=ジンギスカーン説は、可能性はあるよ。
やり手の経営コンサルタントが倒産寸前の企業を乗っ取り、
巨大企業に発展させる、というシナリオと同じで、
現実的ハードルは高いけどな。

211: 名無しさん 2012/06/01(金) 04:24:22.12
「悪魔の証明ですよ」と言っていますが、
「成吉思汗の秘密」にも書いてあるように、義経が大男で成吉思汗が小男であったらなら
その場で「成吉思汗は源義経なり」は否定されます。

何かないですか?


212: 名無しさん 2012/06/14(木) 00:14:37.70
最近、公園からハトが消えたことに気づかないだろうか?
気になるのは私だけか・・・
加古川で鳩の頭だけの猟奇死骸が多数見つかったようである。
シナ人に食われたような気がする。

213: 名無しさん 2012/06/24(日) 02:50:10.37
いま日本で子供が殺されたり、大人の不審死が多いような気がする。
殺した方は通名の在日が多いような気がする、または日本語の話せない支那人の
ようだ。なぜなのだろう。昔はお寺が村の知識人となって村らを統率していたから、外部からの
侵入をふせいでいた。ところが外国勢力の宗教を中心に日本を侵略しているようなきがする。
こうゆう危機に英雄が出るようなきがする。

214: 名無しさん 2012/06/28(木) 17:19:16.93
池田大作か?

215: 名無しさん 2012/06/29(金) 11:28:42.32
義経=チンギスハンが正しいとすると
建礼門院レイプ説の信憑性も倍率ドンさらに倍だね!

216: 名無しさん 2012/06/30(土) 15:05:22.65
義経「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その女と妻達を抱きしめることにある」

217: 名無しさん 2012/07/01(日) 05:25:39.09
成吉思汗の崩御後、500人の側室のうち何人かが殉死したようである。

大英雄は其の辺の「すっとこどっこい」とは違う。

ナポレオン・シーザー・アレキサンダー大王より上である。

何かないですか?

218: 名無しさん 2012/07/01(日) 14:34:47.92
「成吉思汗の秘密」読んだけれど
これ、ほとんど小谷部本の丸写しなのでは…
高木彬光のオリジナル要素なんかあるの?

265: 名無しさん 2012/10/10(水) 22:29:47.44
>>218
ネタ(説の根拠)に関しては全くと言っていいほど無い
何もかもパクリ、オリジナルに見える部分も徹底して誤魔化てあるだけ
今ならネットで袋叩き、作家生命失うレベルだね
後世まで読み継がれる面白おかしい読み物に仕立てたのが唯一のオリジナルかな

219: 名無しさん 2012/07/02(月) 02:05:40.35
義経軍団は、鵯越の逆落としで約70騎(馬の世話に二人)で210人であったと
思われる。
屋島の戦いで約150騎450人、馬は自前だっただろうが、馬のエサ、騎兵の食事等
は義経主従が手配したと思われる。壇ノ浦の戦いでは、水軍の手配にそれなりの
費用が必要であったと思われる。これらの費用は鎌倉から出てたのだろうか。
それとも自前だったのだろうか。

220: 名無しさん 2012/07/06(金) 01:49:53.71
たとえば、熊谷次郎直実は名前から熊谷市の御家人だと思われる。一騎で加わったのではなく一族とその家来を
引き連れて合戦に参加したと思われる。最低でも2~300人である。死人・怪我人が出たら、その保証をしなけれ
ばならない。中国地方まで進軍したのであるから、その間だけでも莫大な費用が必要であった。
卓上の歴史家は簡単に歴史資料だけで判断するが、軍資金の裏付けはなんだったのだろうか。

221: 名無しさん 2012/07/19(木) 14:25:40.50
日本の国は末期的状態になっているかも知れない。

それは司法界が腐っているとしか思えないからです。

高等裁判所の裁判官と元裁判官の弁護士が組んでたわいもない事件から
常識ではあり得ない認定認定を繰り返し数億を儲けている。

これは私が高裁の裁判官と元裁判官の弁護士とのひそひそ話を聞いてしまった
ことからわかったのである。

223: 名無しさん 2012/07/19(木) 20:20:01.31
大英雄が出てくる時代背景はこういう時期なのかと思っただけです。

平氏にあらずば人にあらず。

ジンギスカンが出現したのも世界の要請だったのかと・・・

224: 名無しさん 2012/07/21(土) 12:48:52.89
小谷部全一郎氏の「成吉思汗は義経なり」の中に面白いものがあった。

蒙古とは古の高麗国である。百済の国というのは今の満州で、新羅と任那とを合した
のが今の朝鮮である。今の蒙古と満州と朝鮮とが三韓というので、今の朝鮮を三韓
と思うのは間違いである。・・・・・

又成吉思汗の子孫が五十四代の時に日本から蒙古に再現して蒙古を救うと言う予言
もある。(王仁)
昭和9年7月19日発行東京毎夕新聞所載


231: 名無しさん 2012/07/24(火) 14:23:53.94
>>224
蒙古は蒙古ですが

225: 名無しさん 2012/07/21(土) 12:58:33.07
だからせめてそういう妄言はsageて書くか
ご自分でいいこと言ってると思ってるんなら
実名入りのfacebookとかで書きなよ

気持ち悪いよ。まじで。

226: 名無しさん 2012/07/22(日) 23:41:21.33
普通の日本人は妄言という言葉を使わない。

何が嘘なのか、何が間違いなのか、論理的に説明しなければならない。

気持ち悪いのはどっちだろう。

227: 名無しさん 2012/07/23(月) 01:12:28.23
いかにもネット論客気取りらしい言いぐさやね。
嘘も間違いもへったくれもない。
場にそぐわぬひとりごとを咎められているのは自明なのに
論理ロンリとバカのひとつおぼえみたいに吠えてれば自分が保てるんだろ。
それとも正しい(?)こと言ってるならどんなウザ文も受け入れられるべき、とか
素で勘違いするほどのバカなのか。

安っすいやっちゃ。

228: 名無しさん 2012/07/23(月) 14:43:45.44
小谷部全一郎氏の「成吉思汗は義経なり」は旧仮名づかいなので
読むのに苦労する。

妄言の意味も解らない「安っすいやっちゃ。」 は

そっくりお返しする。








229: 名無しさん 2012/07/23(月) 16:41:59.08
大物浦で消息を絶ったと言われている義経の家来300~500騎はどこに
消えたのか。
地方豪族の次男坊・三男坊で知力・体力・統率力を備えている武将とおもわれる。
若き信長、信玄、謙信、家康、政宗クラスである。
そのまま消えたと考えることに疑問を感じる。

230: 名無しさん 2012/07/23(月) 18:23:19.51
成吉思汗の大偉業を考えたとき、一人や二人の力でできるものではないと思われる。
数十人の将軍、手足となって働く数百の将校、先頭を切って突進する数千の下士官
が必要である。
そして、それらの将兵に供給される武具の研究と生産である。
遠征費用、家族の生活と戦死した時の保障等などを考えたとき、歴史研究なるものの
稚拙さをかんじる。

232: 名無しさん 2012/07/27(金) 17:32:55.39
1992年宮沢総理の時、次期総理は誰でしょうと言うTBSの番組だと思います。
20年前ですが、誰か観ていた人いませんか。

233: 名無しさん 2012/08/01(水) 03:15:24.18
シーボルトは間宮林蔵と親交があったと言われている。
間宮林蔵はニコライスクでその地の酋長から聞いた話「この地にたどり着いた日本人の
武将がこの地を去ったあと漢国の玉になった」(北海道テレビ)と言う伝説をシーボルト
に話した可能性がある。
1992~1994年頃の北海道テレビまたは札幌テレビ?を観てた人いませんか?

234: 名無しさん 2012/08/03(金) 02:37:23.81
231の人

小谷部全一郎氏「成吉思汗は義経なり」の268ページ「源義経と蒙古」にある。

235: 名無しさん 2012/08/06(月) 20:49:28.75
確固たる証拠がないとウリナラファンタジーになっちゃうんでね。
日本人としては実話であってほしいけど

236: 名無しさん 2012/08/07(火) 10:12:30.18
235の人

確固たる証拠とは何ですか?
鎌倉幕府の正史「吾妻鏡」は義経没後、100年以上経ってから
書かれたものではないですか。
義経記・玉葉も現場から離れたところで書かれたものである。

元朝秘史も成吉思汗没後、だいぶ経ってから書かれたものである。
ただ、小谷部全一郎氏は現地を訪ねて調べたものである。
私も義経ゆかりの地には、ほとんど行ってみた。
当時と現在の違いはあるかも知れないが、義経の「平泉の自殺」はあり得ない。

237: 名無しさん 2012/08/07(火) 10:39:14.04
私もモンゴル人と満州族(満洲マンジュ)の留学生に「成吉思汗の秘密」に
書いてある事を質問してその回答で確信となった。

238: 名無しさん 2012/08/07(火) 12:01:10.36
俺も北行伝説の地なら北海道以外大概行ったし
鎌倉、吉野、安宅の関といった場所にも行ってるが
そんなもんがなんになる?
少なくとも吾妻鏡や玉葉が「ずいぶん後になって書かれている」
と悪口言ったあとで、自慢げに言う台詞じゃねえよ。

てめえで思い込むぶんには別にかまわんし、それでポエムだ創作だと
気取るのもよしとするが、ここは日本史板。
それなりにしっかりした根拠を提示できんのなら論外もいいとこ。

いずれにせよ↑のひとりごとは気持ち悪い。

239: 名無しさん 2012/08/07(火) 20:51:41.34
238の人

あんたも
・・・それなりにしっかりした根拠を提示できんのなら論外もいいとこ。
・・・いずれにせよ↑のひとりごとは気持ち悪い。


240: 名無しさん 2012/08/07(火) 23:15:02.52
このスレを覗いた第三者がどう思うかは自明だと思うが、
まあ↑は聞くという能力がないんだろうな。
一応好き者が集まってるとされている2chのスレがこれだと
今後義経北行伝説について調べてみよう、なんて人は激減するだろうに。

つーか北東北の知られざる歴史、みたいなスレって
東日流外三郡誌もそうだったけど、
なんでこういう「俺だけは全部分かってる」みたいな輩がでかいツラしてるわけ?
長年こうだったのなら、「中央から黙殺され」るのも自業自得だぞ?>>ALL

241: 名無しさん 2012/08/08(水) 07:05:18.76
もうちょっとまともな日本語を使いな。

小谷部氏の「・・・義経なり」を読んでないだろう。
読んでから批判しな。

242: 名無しさん 2012/08/28(火) 05:26:36.91
有色人種を搾取して成り立っていた欧州もギリシャからの破綻(がん細胞)が始まって
イタリア・スペインにまで及んでいる。
先延ばしもいつかは終末を迎える。
アメリカも財政赤字が天文学的数字になっている。
五黄の年に戦争か地震が起きることになっている。ところが、地震と津波は2011年に起きてしまった。
アメリカの地震兵器という噂もある。五黄の年に起きるのは戦争ということになるのか。
朝鮮半島か?台湾海峡か?中華人民共和国内部か?

日本にミサイル(原爆)を打ち込むのか?
日本にミサイルを打ち込んでも何の解決にもならない。富が失われるだけであり、
放射能に汚染され、その後に住めなくなる。

やはり、朝鮮半島の内乱でシリアのように武器消費で死の商人が儲けるのか?

アンゴルモアの大王の出現が近づいてきている。

247: 名無しさん 2012/08/31(金) 20:05:52.03
平泉の事件から200年後に書かれた「吾妻鏡」が正しくて、500年後に書かれた
「大日本史」が間違っている・・
平泉事件を京都で書いた日記「玉葉」が正しくて、現地へ行って地形や伝説・物的証拠を
調べて書いた「・・・義経なり」が間違っている・・・

以上の理由を説明してください。

248: 名無しさん 2012/09/01(土) 23:42:15.07
どれも間違ってるかもしれないし、正しいかもしれない。
同様に、1000年近くあとの今になって行ってみた個人の感想が、
おのおのの史書より真実に迫っているとは限らない。
もちろん何百年に渡って常識とされてきたことが否定されることもあるが
「○○は間違っていて本当はこうだった」と言いたいなら
よりはっきりした根拠を誰にでも分かるかたちで提示しないといけない。

要するに宗久って人はうざいと思います。

249: 名無しさん 2012/09/02(日) 04:17:50.52
「成吉思汗は義経なり」は肯定も否定もされてないぞ。

斜にかまえて最もらしい事を言っているが、結局は答えになっていない。
「うざい」という日本語にもなっていない音だけか。

否定するなら藤原三代の栄華の象徴である「中尊寺の金色堂」「毛通寺」「経典」
の資金の源泉くらいは提示しな。

一の谷の逆落としの現場(2m位の樹木で覆われている)を見て騎馬でどのように
攻め落としたか説明してみな。

また、答えは「うざい」「まじ気持ちわるい」だけか。

北東北とは何語だ。

それから、今年になって歴史人など多くの雑誌に「ジンギスカン・義経」の特集が
出てきている。


250: 名無しさん 2012/09/02(日) 04:43:02.61
あーあ…。
東日流外三郡誌スレにおまえみたいなトンチンカンがいて、
思わず書きなぐったことを転載しといてやる。

>静かな住宅街で「一たす一は二なんだー!!!」って叫んでる奴がいて
>うるせー!と怒鳴ったら「反論してみろー」とか言われた感じ。
>(いや、ここの場合は「一たす一は三なんだー!!!」なんだけど。)
>正しいも間違いもへったくれもなく、とにかく迷惑なんだが、
>当人は「反論できまい、うふふふふ」とご満悦みたいな。

自分のどこをツッコまれてるか分からないってのは
バカと思われても仕方ないんじゃないか?

251: 名無しさん 2012/09/02(日) 04:46:59.14
それから、10年ほど前の新聞だと思うが、三菱商事が成吉思汗の墓と思しき所を
発見して発掘作業に入るとの報道があった。
のちの報道でモンゴル政府が許可を出さないため発掘中止となった。

ノータリンのあんちゃんだけの掲示板では、新しい情報収集は無理か。

252: 名無しさん 2012/09/02(日) 16:12:47.30
あんちゃん

あんたの前提は・・*静かな住宅街で・・・だろう

この掲示板は「源義経=チンギス・ハン説を議論しよう」ではなかったかな・・

「東日流外三郡誌」は1970年に青森県の旧家で発見されたものだろう。
旧家の新築が100年前だとすれば、1870年以後にその場に置いたことになる。

大日本史は水戸黄門が1600年代に当時の優秀な歴史研究者を集めて編纂したものである。

もうちょっとまともな返答をしてみな。

257: 名無しさん 2012/09/11(火) 03:12:57.19
平泉で死んでないという話とチンギス・ハンになったという話は
別箇に考えた方がいいとおも。
国威掲揚のためとしか言いようのない宣伝のされかただったのがチンギス・ハン説。
義経一行がここを通って逃げてったという話は岩手沿岸から青森をきれいに結んで残ってるんで
まともに研究してみる価値はあると思うけど。

しかし
>そのくらい戦術に長けてたって話が元なんじゃ?w
という発想は見たことなかったな。

267: 名無しさん 2012/11/06(火) 12:30:50.21
>>257
そういう決めつけでなんでも否定しちゃいかん。
嘲り笑うような否定は言語道断。
それでなくてもこの説を決定的に裏付ける証拠は難しいのだから。
否定する時も論理的に。

258: 名無しさん 2012/09/13(木) 19:33:27.95
日露戦争ではマルクス主義に出資した日本であるが、第二次世界大戦ではコミンテルンに陥れられている。
因果応報である
義経によって国土を荒らされ、エスニッククレンジングされた露、朝鮮、シナは日本への復讐心と警戒心に満ちている。
賠償しろとはその事である。
新たな因果応報が日本に迫り、それは義経の復讐かもしれない。

259: 名無しさん 2012/09/18(火) 11:35:53.00
ありえるな

261: 名無しさん 2012/10/04(木) 04:40:29.01
近代デジタルライブラリー - 成吉思汗は源義経也
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019510

こうやって誰でも元ネタが読めるんだから
いい時代になったね、夢のようだ
皆で読んで検証していこうか

262: 名無しさん 2012/10/08(月) 02:04:26.87
そういえば、乾隆帝自筆の「朕の姓は源、義経の裔なり~」の件
これ、高木彬光『成吉思汗の秘密』では実物がナントカ財閥の手元にあるみたいな話だったけど
そんな話、他では全く聞いたことがないんだよな
『秘密』は小説だからあくまでフィクション上の話なんだろうか
それにしてはやけに入手の経緯を事細かに書いてあったけど

263: 名無しさん 2012/10/10(水) 12:22:54.01
小日向 白朗(こひなた はくろう、
1900年(明治33年)1月31日 - 1982年(昭和57年)1月5日)とは、
単身で中国大陸に渡り、捕虜から「中国全土の馬賊」の総頭目にまで上り
詰めた日本人の馬賊の事である。新潟県三条市出身。本名は健松
中国名は尚旭東。民衆からは小白竜とも呼ばれた。

264: 名無しさん 2012/10/10(水) 21:38:02.92
上記の馬賊の進軍歌をパクったのが、中国の国歌です。

266: 名無しさん 2012/10/12(金) 01:58:09.39
乾隆帝の自筆は写本であるため検証不能

成吉思汗の花押であったなら義経の花押と検証できた

268: 名無しさん 2012/11/11(日) 14:14:30.09
俺の所に金国の「完顔福興」が使者としてきたが、その時、「成吉思汗」と署名して
渡したらびっくりしていた。俺の名前をジンギスカンとカタカナで書く歴史家がいるが、
いい加減にして欲しい。正しくは成吉思汗である。

269: 名無しさん 2013/01/10(木) 05:32:54.59
チンギス・カンは「源氏」スカン。

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0204/46/305.html

チンギス・カンの発音は、ほとんど、「ゲンジ・スカン」。

自分が源氏でありながら、「スカン」というところが、いかにも○○だ。

271: 名無しさん 2013/04/29(月) 22:31:00.44
源義経チンギス・ハーン説 - ASIOS -
http://www.asios.org/yoshitsune.html

272: 名無しさん 2013/05/15(水) 23:10:43.37
明治20年クリスマス、保安条例公布

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0204/46/305.html
http://3rd.geocities.jp/jcon_tline/02/k/k13.html

この日は、チンギス・ハーン没後皇紀660周年記念日だった。

(仮説を含む)

( http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0104/46/302.html )

273: 名無しさん 2013/05/17(金) 18:46:57.34
勧進帳で知られている安宅関の時点で義経は別人と入れ替わっていたという説がある。
美談になっているが、義経ではない人物だから弁慶は痛めつけたのだ。
涙を流しながら(泣きながら)とあるが、季節的に弁慶は花粉症だったのでは?という説を唱える歴史研究家までいる。
では、安宅関の以前に入れ替わった義経は何処にいったのか?

答えは東尋坊にある。
地図を見ていただければ一目瞭然だが、このあたりだけ地形が突出している。
東尋坊の名前の由来も「東(東北)の位置を訪ねた坊主」からきているらしいが
方向音痴として知られる弁慶らしいエピソードである。
この東尋坊で義経は弁慶と別れ船に乗り、能登へ移動(義経の舟隠し)。
そこから現在の禄剛崎まで徒歩で移動、再び船に乗り一旦、舞鶴に行ったとされる。

ソース
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/river/1356991283/

277: 名無しさん 2013/05/28(火) 01:23:44.54

278: 名無しさん 2013/06/13(木) 18:54:18.52
強国に囲まれ異民族に蹂躙されてきた千敗の超賤な民はヒャッハーなお兄さん達に
A、T、G、Cによる情報をインストールされ続けたため、その子孫が気性の荒い
強姦魔になったのは無慈悲な地政学敵宿命。 世紀始覇者 チン○スハーンのYを
継ぐ者だけでも現在全世界で1600万人(つまり男性200人に1人!)程いるが貢献大。
恨の文化や歴史熱造癖は惨め歴史故のことだがおかげで体格はよくなりましたとさ。

279: 名無しさん 2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
つか義経女性説どうなった?
こちらに関係あるなら源義経、上杉謙信、織田信長
こいつら全て女性でも不思議じゃねえぞ

280: 名無しさん 2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
怪しいんだよな
チンギスハン説は義経隠しじゃないかなーと
謙信不犯説やら信長の妻、帰蝶もいたのかいな
いのか分からん状態だしな_φ( ̄ー ̄ )

281: 名無しさん 2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
信長の遺体もでてきてないんだろ?

282: 名無しさん 2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN
信長は、武田征伐直後の遠江巡覧中に、徳川家特殊部隊により拉致された。
従って、本能寺の信長は徳川家が仕立てた影武者。

どこかおかしいと探知した光秀が征西軍をリターンさせ、
老ノ坂まで南下して来て、徳川軍と睨み合い。
別途に、光秀与力で淀城代であった、斉藤内蔵助なる武将がおり、
この直前に人事変動ありて、徳川与力に直されていたが、
徳川から天皇と親王とを御所に囲めと命令を受け、
その意図を探知して故意に命令を取り違え、
偽の信長と信長夫人とを本能寺に囲んだ。

斉藤軍の集結を目印として、老ノ坂の高みから徳川軍が夜間逆走、
明智の先手を名乗って、
彼らを攻め殺してしまった。これが、本能寺の変の真相。

拉致された本物の信長が死んだことを、
乳兄弟の池田勝入が探知したことにより
勃発したのが、小牧・長久手の役である。

283: 名無しさん 2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN
 
チンギス・カンに目覚めた明治政府

http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p036.html#page246B

大相撲の横綱がモンゴル人で独占されるのは、

何も偶然ではない。

( http://park.geocities.jp/jpcdebate/0103/p034.html )

284: 名無しさん 2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN
シーボルト先生の思いつき。
江戸時代の間は義経=清祖説がポピュラーで
義経=ジンギスカン説なんて誰もいっていない。
てゆーか、鎖国時代でモンゴルの知識なんかまともになかった。

285: 名無しさん 2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN
そうそう。モンゴルのわけがない。
西シベリアにはハンチマンシースク民族自治区というのがあるが、
これは源氏の守り神八幡氏が語源だと言われている。
だから義経が向かったのはモンゴルよりもはるかに遠い西シベリアだった。

異論は認めるが賛同は認めない。

286: 名無しさん 2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN
そういえば南北朝って長兄だか末子が継ぐかで揉めたんだよな
俺思うに元って日本と戦う意味なかった、だって同じ仏教圏だし
語族も同じ蒙古班がでるほど遺伝子にだってそう違いはない
密かに内部から侵攻しててもおかしくないわ

287: 名無しさん 2013/09/16(月) 13:52:47.00
ていうか大陸の言語はどうやって覚えたの?飯をもらうにも難儀しそう。北へ逃げた可能性は否定しないけど逃げすぎる大将に家来は付いてこないよね。家族は付いていくと思うけど。

288: 名無しさん 2013/10/14(月) 13:24:59.00
北条氏は源氏を三代で滅亡させた。義経の孫と和解などできない。そこでフビライの使者を
龍ノ口で処刑したのだろう。もし、文永弘安の役がなかったなら歴史は違った方向に進んで
いたかもしれない。

289: 名無しさん 2013/11/04(月) 11:04:38.98
源義経、名前がそんまんまチンギスハンだし。
英語表記だとGhen gi sei Khan つまり 源 義 経 汗。
議論の余地なし。モンゴル人は経をせいとしか発音できなかった。
家紋も同じ笹りんどう。国号もゲン で 源 と同じ。
ジンギスカンの別名はクロー、義経も九郎義経という。
 

290: 名無しさん 2013/11/14(木) 02:16:56.10
源義経が成吉思汗であっては困る奴らがいる。
アーリア人とシナ人と朝鮮人である。

291: 名無しさん 2014/01/27(月) 23:28:06.39
福岡黒田藩家老を祖父に持つ若狭和朋氏の話(ニコニコ)によると、測量技術士の舛添氏が
朝鮮半島から渡ってきた白丁の使用人が名前を持ってなかったので舛添の名前を与えて名乗るようになったのが
舛添要一の始まりであったと。

292: 名無しさん 2014/02/06(木) 12:26:00.21
この手の説の信奉者の一番おかしなところは
源義経=ジンギスカン説と
源義経の子孫=清朝皇帝説を
いっしょに信じているんだな。

ユダヤ陰謀論者が
日ユ同祖論もいっしょに信じているみたいなものなんだが。

293: 名無しさん 2014/02/07(金) 15:27:34.14
成吉思汗の秘密の結末ででてくる天城山心中事件って
よくよく考えると
源義経の子孫=清朝皇帝説にとっては輪廻だか運命のめぐりあわせでも
源義経=ジンギスカン説にとっては何の意味もない。
てか、むしろマイナスなんじゃ。

295: 名無しさん 2014/03/01(土) 08:12:35.17
ヘイトスピーチと騒がれているが、ヘイトスピーチをしているのは在日韓国朝鮮人である。デモ隊に途中から
入り込んだ在日韓国朝鮮人が日本人に成りすましてやっている。

297: 名無しさん 2014/04/11(金) 00:03:55.78
歴史的速報@2ch 義経がチンギス・ハンになれる可能性はいかに?
http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/25560558.html

298: 名無しさん 2014/04/16(水) 00:19:22.62
>>297
続きあるんじゃないかと思ってググったらログ速にあった
http://www.logsoku.com/r/history/1005124090/

301: 名無しさん 2014/04/23(水) 00:56:33.20
>>297大体読んだけど、うーん・・・
お馴染みの話が繰り返されるだけで目新しい展開は無いかなあ

ちょっと>>330のソース書いとくか
「天平の渤海交流」(2009)と「渤海の歴史と文化」(2010)
前者は新書的で入門編として読み易い感じだったかな
後者は辞典並に分厚くて対外関係も詳しく拾い読み向き
これで渤海後は日本との関係を示すものは特に無いことが分かった

299: 名無しさん 2014/04/21(月) 02:09:02.16
このスレまだあったんだな

>>297-298
2001年に立ったスレか、ずいぶん古いね
少しづつ読んでみるか

300: 名無しさん 2014/04/22(火) 02:12:15.37
http://www.logsoku.com/r/history/1005124090/11
http://www.logsoku.com/r/history/1005124090/42
http://www.logsoku.com/r/history/1005124090/46

とりあえず沿海州との関係で言うと
渤海国の頃は結構日本と行き来あるんだよね
でもその後は少なくとも記録上は何も見えない
次に金や元が起こる前の空白期に当たるから
義経渡海説の検証も現状ではやりようがない

302: 名無しさん 2014/04/23(水) 00:58:03.20
アンカー間違い
× >>330
>>300

303: 名無しさん 2014/04/25(金) 00:45:15.02
下のウィキペディア中の「3.2.1 日本海沿岸部における10 -13世紀までの女真族」が勉強になるな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%80%E4%BC%8A%E3%81%AE%E5%85%A5%E5%AF%87
なるほど、沿海州にいた女真は早々と滅んで交易も北のアムール川の方に移ったのか

304: 名無しさん 2014/04/25(金) 01:07:35.41
久々に小谷部全一郎「成吉思汗~」も読み直してみた
この辺が沿海州関係↓
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_7.htm#1
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_7.htm#2
上の方のリンクの最後にある「漢文を能くする日本人が漢詩を以て應答せり」は
渤海国のウィキペディア「5 文化」にある「菅原道真と渤海の使者との間で漢詩の応酬が行われた」と対応してる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A4%E6%B5%B7_%28%E5%9B%BD%29
「日本の歌妓即ち鎌倉時代の所謂白拍子も居りたり」ってのもホント
遣渤海使が数十人単位で向こうまで連れて行った記録が残ってる
小谷部を初めて読んだ時はどこまでホントだろ?と思ったけどw
ただ正史として残るのはあくまで渤海国時代の話だけなんだよな

305: 名無しさん 2014/04/25(金) 01:25:02.49
そういえば「小谷部全一郎の世界 成吉思汗は源義経也」ってサイトは
ウィキペディア義経=ジンギスカン説の最後の外部リンクにも載ってるけど
目次のページには第五章と第六章へのリンクが無いんだな
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/oyabe.htm#mokuji
でも実際はちゃんとページ作ってあって全文読める↓
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_5.htm
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_6.htm
ただ第八章以降は見つからないから最初から作って無いみたい、残念

314: 名無しさん 2014/04/29(火) 02:11:10.06
>>310-311続き
昭和に書かれた高木『成吉思汗』から更に遡ると
大正期の小谷部全一郎『成吉思汗ハ源義経也』
これは>>305のサイト内で検索できた

清朝時代の駐清英国公使デビス著清國総録に記して曰く、成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は明朝の為に放逐されて満洲の故地及び蒙古に逃れ、酋長の女と結婚して諸公子を生んだ。
彼等は朔北に割拠して勢威を振ひ、後に大拳して明朝を亡ぽし、國を清と號した。清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の裔なりとするのは、けだし是れが為である云々と。
苛くも時の駐清大英国公使たる責任の地位にある人が、清朝時代に清帝を成吉思汗の裔なりとその著書に発表するには確乎たる論證に拠ったものであろう。斯のように清朝は成吉思汗の裔苗であること外書に明記している
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_1.htm#4

320: 名無しさん 2014/05/01(木) 04:27:58.46
うーん
>>314>>318を比べると基本的には同じなんだけど
末松・内田「是レ天命ヲ受テ明朝ヲ亡ボセシ人ナリ」
小谷部「彼等は朔北に割拠して勢威を振ひ、後に大拳して明朝を亡ぽし、國を清と號した。」
ここの部分がハッキリ違うかなあ
小谷部はダビスだかデビスだかの原著を読んで変えたのかな

328: 名無しさん 2014/05/07(水) 02:23:57.45
そういえば
>>314のリンク先ではデビス清国総録の話のすぐ前で
「クロパトキン著、満蒙処分論」という本の話をしてて
この本は「クロパトキン 満蒙処分論」でググればすぐ出る
近デジでもGoogleブックスでも直接読める

一方、清国総録の方は定番コピペ以外に出てこないw
この本、たぶん邦訳されてないんじゃないかと思うけど
それだと原題が分からないから探し様も無いんだよな

(近代デジタルライブラリー 満蒙処分論)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951337
(Googleブックス 満蒙処分論)
http://books.google.co.jp/books/about/%E6%BA%80%E8%92%99%E5%87%A6%E5%88%86%E8%AB%96.html?id=JK1AusYTVYQC

307: 名無しさん 2014/04/26(土) 00:27:45.62

これも定番お馴染みだけど改めて読むと何だかなあ
出所を辿ると恐らく義経再興記辺りまで遡るんじゃないのか
だとしたら百年以上前のコピペが延々出回ってるわけで
このデビスって人や本、あるいはこの文が実在するのか
今まで誰も検証してないんじゃないのか
実際その辺って全然見たこと聞いたこと無いし

308: 名無しさん 2014/04/27(日) 00:49:11.47
ちょっとメモ
このサイト、画像も充実してて初心者向けだけど
アフィ貼りすぎててやたら重いのが難点
下のサイトはテキストだけで軽い

成吉思汗の孫、忽必烈(フビライ)の子孫は、明朝のために放逐されて、蒙古の故地及び満州にのがれ、長の娘と婚して、諸公子を産んだ。
彼らは朔地に割拠して勢威をふるい、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。
清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである。
――デビス著、『清国総録』より
http://electronic-journal.seesaa.net/article/5940903.html
http://intec-j.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=155692206

309: 名無しさん 2014/04/27(日) 01:18:29.70
そういえば
成吉思汗の父エスゲイが蝦夷海の訛りは
末松が言いだしっぺってよく言われるけど
ホエルンイケ+センシ皇后で池の禅尼ってやつ
これも末松の発見というか発明でいいのかな?
でもこのセンシ皇后ってソース何だろ?元史?
これもちょっと今まで見た記憶が無いな

312: 名無しさん 2014/04/28(月) 04:34:43.54
>>309の続き
ホエルンイケセンシでググるとセンシの漢字が分かった
http://www.eonet.ne.jp/~tajikara/Rekishi/yoshitune/yoshitsune.html
>ジンギスカンはこの母に宣懿〈センシ〉皇后という名をプレゼント

この宣懿も加えて更にググるともう一つ出て来たけど
http://blog.livedoor.jp/mumeikai/archives/2006-01.html
>成吉思汗は彼女の死に際し、「宣懿(せんい)皇后」の諡(おく)り名をした

ん?せんし?せんい?どっちだ?

310: 名無しさん 2014/04/28(月) 04:03:09.38
以下、高木彬光『成吉思汗の秘密』から清国総録の部分
小説が手元に無いから正確そうな引用をネットで探してみた

イギリス公使デビス著の『清国総録』という本に、「成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は、明朝のために放逐されて、蒙古の故地及び満州にのがれ長の娘と結婚して、諸公子を産んだ。
・・・彼らは(以下略)、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。清帝(愛新覺羅)を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである」という文面が見受けられた
http://d.hatena.ne.jp/raita24/20110513/1305256679
イギリス公使デビスの「清国総録」の中に「成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は明朝のために放逐されて、蒙古の故地及び満州にのがれ酋長の娘と婚して諸公子を産んだ。
彼らは朔地に割拠して勢威をふるい、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。清帝は成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである」の文章がある
http://kilkhor.cc.iwate-u.ac.jp/~hitoaki/cgi-bin/hw_form.cgi?FName=../hwi/ih85.txt

313: 名無しさん 2014/04/28(月) 04:47:45.23
試しにウィキペディアで探してみると宣懿皇后の項があった
読みは「せんい」が正しいのか、でもホエルンの話は何も出てないな
ホエルンの項にも宣懿のことは書いてない

宣懿皇后 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E6%87%BF%E7%9A%87%E5%90%8E
ホエルン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3

読みは「せんし」じゃなかったし、ホエルン=宣懿皇后のソースも不明なまま
ホントに成り立つのか、「イケ+センシ=池の禅尼」説ってw

315: 名無しさん 2014/04/29(火) 02:34:49.17
思ったとおり高木彬光の訳文はほぼ小谷部の丸コピペ
英国公使が根拠無く書くはずが無い(キリッってとこまで同じ
でもこれ小谷部が自分で読んだり訳したのか?
それとも小谷部もまた先行書の丸コピペなのか?
やっぱり末松著・内田訳「義経再興記」まで遡ってみる必要あるな

316: 名無しさん 2014/04/29(火) 20:06:51.56

321: 名無しさん 2014/05/01(木) 11:47:24.12
>>316 これは愉快w

322: 名無しさん 2014/05/01(木) 22:00:02.19
>>316
源義経の幼少期の逸話アニメいいね。

317: 名無しさん 2014/05/01(木) 01:28:30.54
義経再興記、読書中w

318: 名無しさん 2014/05/01(木) 03:58:24.87
義経再興記の中の該当箇所やっと見つけた、ふう
原著の百六頁にあった

支那二駐在シタル英國(国)全權(権)公使「フランシスダビス」氏著支那帝國總(総)録中二曰ク
成吉思汗ノ孫、忽必烈ノ子孫、明朝ノ爲(為)メ二放逐セラレ東韃靼中二隱(隠)レ土人ト婚シ乃チ滿(満)洲諸公子ヲ生メリ
是レ天命ヲ受テ明朝ヲ亡ボセシ人ナリ淸(清)帝ヲ忽必烈ノ裔ナリトハ乃チ之ガ爲(為)メナリ云々
若シ此記事果シテ事實(実)ナラバ成吉思汗ハ淸(清)朝ノ遠○(祖)タラザルベカラズ

319: 名無しさん 2014/05/01(木) 04:10:04.22
>>318の書き起こしは以下から
http://kindai.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F993759&contentNo=57&outputScale=4
俺はGoogleブックスの再版PDFを落として読んだけど
複数ある近デジの中のこの5版が一番読みやすいかな

近代デジタルライブラリー - 義経再興記(1886 5版)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993759
義経再興記 - 末松謙澄, 内田弥八 - Google ブックス(1885 再版)
http://books.google.co.jp/books/about/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%E5%86%8D%E8%88%88%E8%A8%98.html?id=_FjO5Rg-NlMC

324: 名無しさん 2014/05/02(金) 01:35:03.45
そういえば>>318までざっと見た限りでは
エスゲイやホエルンイケの語呂合わせも無かった
明治の本だし更に読み進めるのはもうキツイわw
再興記の現代語訳はネットには無いんだよな

325: 名無しさん 2014/05/03(土) 10:46:39.55
>清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである。

ヌルハチがホントにジンギスカンの子孫なら
最初の国号が「金」なんてことはないだろうに。
ホンタイジがモンゴル帝国(北元)併合して皇位に就いたのが、
300年経つと曲解されて、そんなことなったんだな。

326: 名無しさん 2014/05/07(水) 01:24:34.96
>>325
>ホンタイジがモンゴル帝国(北元)併合して皇位に
>300年経つと曲解
あー、なるほど
清とモンゴルってそういう関係だったのか
中国史とか知識無いから、全然考えたことなかったわ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%B8#.E7.94.9F.E6.B6.AF
天聡5年(1631年)にはチャハル部のリンダン・ハーンに勝利し、天聡9年(1635年)にはチャハル部を組み入れ、元の玉璽をリンダンの息子エジェイ(中国語版)から譲り受けた。
1636年、ホンタイジは玉璽を手に入れたことを機に、満州族・漢族・モンゴル族の三族から推戴を受けた。すなわち国王から正式に皇帝となり、国号を大清とし、併せて崇徳と改元した。

329: 名無しさん 2014/05/09(金) 15:40:43.88
>>325-326
>ホンタイジがモンゴル帝国(北元)併合して皇位に就いたのが、

俺はこの知識を
荒山徹先生の「柳生大戦争」で初めて知ったw
柳生友矩と檀君のお導きだな。

330: 名無しさん 2014/05/11(日) 01:04:02.87
>>329
ちょっとググってみたけど
何かずいぶん楽しそうな作者&作品&読者だなw
アマゾンのレビューとか、なんだあれw
あんな2chみたいなレビュー初めて見たわwww

331: 名無しさん 2014/05/13(火) 21:53:09.41

332: 名無しさん 2014/05/14(水) 23:50:43.26
えーっと
ウィキペディア読み直してみたら間違いが結構あるな
せっかく義経の項目から独立したのにもったいないわ

333: 名無しさん 2014/05/15(木) 00:17:19.77
「『江戸時代初期には、金の正史である『金史』の外伝という触れ込みで、「12世紀の金の将軍に源義経なる者がいた」と記した『金史別本』なる書が、沢田源内の翻訳によって出版されている(『金史別本』は偽本である)。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC#.E6.A6.82.E8.AA.AC

金史別本はそもそも実在しない(実物が確認されたことは無い)から出版されたことも無い
加藤謙斎「鎌倉実記」の中に金史別本からとする引用文が載ってるだけ
だから金史別本の作者は加藤謙斎その人とする説があるんだと思う
あと1717年って江戸初期なのか?

鎌倉実記 加藤謙斎著 1717年
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/19_yoshi.html

334: 名無しさん 2014/05/15(木) 00:48:00.17
「末松謙澄は伊藤博文の知遇を得て、明治11年(1878年)から12年にかけて外交官としてロンドンに赴任、ケンブリッジ大学で学んだ。『義経=ジンギスカン説』を卒業論文にまとめて発表した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC#.E6.9C.AB.E6.9D.BE.E8.AC.99.E6.BE.84

この卒業論文という話は何故か義経=成吉思汗説関係でしか見ないんだな
それ以外だと単に英国で論文を出版としか書かれてないし
渡英した翌年にもう卒業というのはちょっとおかしいと思う

明治十二年に『成吉斯汗』(じんぎすかん)を英文で出版
http://www.ncbank.co.jp/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/kitakyushu/009/01.html
明治11年 1878 英国公使館付一等書記官見習で、英・仏・歴史編纂方法取り調べのため渡英。
明治15年 1882 ロンドンで英訳「源氏物語」を出版。
明治19年 1886 帰国。
http://www.ncbank.co.jp/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/kitakyushu/009/suematsu_nenpu.html

335: 名無しさん 2014/05/15(木) 01:17:33.85
「この論文は内田弥八訳述『義経再興記』(明治史学会雑誌)として明治18年(1885年)を嚆矢としてそののち和訳」

この明治史学会雑誌というのも意味不明(説明不足?)
義経再興記でググってると時々この名前が出てくるけど
(例)http://ee161655.mizubasyou.com/5.html
(例)http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n32669
明治史学会雑誌という出版物を探してもこれしか出てこない

http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010920597-00
これは明治期に発行されてた「史学会雑誌」(論文誌)の中から選んだ論文を転載した本
現物を確認したことあるけど義経再興記が載ってるわけでもないし関係無いんじゃないか

336: 名無しさん 2014/05/15(木) 01:32:42.90
「3.3 小谷部全一郎による「成吉思汗=義経」説の提唱
(中略)
モンゴル文字にかなりの平仮名からヒントを得たとしか考えられない文字が存在する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC

これは現役の義経=成吉思汗説研究家の丘ナントカさんが言い出した比較的新しい説
小谷部全一郎とは何の関係も無い
あと丘さんの指摘は4文字くらいだから「かなりの」とは言えないな

337: 名無しさん 2014/05/15(木) 01:48:06.91
「『成吉思汗』の「汗」を「水と干」に分けると、「成 レ吉 思 レ水干」となり、遠くモンゴルの地で良きこと「吉」を成し遂げ、「吉成りて、水干を思う」となる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC#.E4.BC.9D.E8.AA.AC.E3.81.AE.E3.81.9D.E3.81.AE.E5.BE.8C

これ高木彬光著・成吉思汗の秘密のクライマックスの説明だけど
「吉成りて」の解釈は正しくは「(静御前との)吉野山の誓いが成就して」
小説のネタばらしした上に、内容間違ってるって何だかなあ

338: 名無しさん 2014/05/15(木) 02:07:33.72
「3.3 小谷部全一郎による「成吉思汗=義経」説の提唱
(中略)
沿海州ナホトカとウラジオストクの間に「ハンガン」という岬と泊地があり、九郎判官が上陸した土地ではないか。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC
「28. 小谷部はまた、ロシアのウラジオストックから120キロメートルほどのところに、蘇城(スウチャン)という古城の遺跡があり
(中略)
ハンガン岬から東北に120キロメートル離れたところにあるこの「スウチャン」は中国語であり」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC#.E8.84.9A.E6.B3.A8

これ「ナホトカとウラジオストクの間」が間違ってると思って小谷部著・成吉思汗は源義経也をざっと読み直したんだけど
ハンガン岬についてどこにも書いてないんだな、これは俺も驚いたw

339: 名無しさん 2014/05/15(木) 03:05:10.19
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019510
成吉思汗は源義経也を更に再読したけど
やっぱりハンガン岬は記述が無いw
あれだけウラジオ・ニコリスク(双城子)・蘇城(スーチャン)辺りを書いてるから
ハンガン岬も当然書いてあると思い込んでたな
小谷部の他の本にでも書いてあるんだろうか

340: 名無しさん 2014/05/15(木) 11:34:59.60
別の視点から義経チンギス説を論評してる意見
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n135249

369: 名無しさん 2014/05/27(火) 23:49:53.71
>>357-360
「チンギスみたいな大虐殺者と義経を一緒にするな」
こんなこと言われたらモンゴルの人も怒るだろ
元はそういう話題(>>340)なのに一体何の話してるんだか

341: 名無しさん 2014/05/17(土) 22:04:41.32
名著とされるドーソンの『モンゴル人の歴史』は、殺戮と破壊についてはかなり誇張して記述されたことが、今日では知られている。
名著であるが故にその後多くの論文や小説等に引用された。
同様なことは他の著者によっても行われ、結果として成吉思汗は殺人鬼にされた。
そして、その固定化されたイメージが我々に伝えられた。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/nariyoshi/ushiwaka_38.htm

343: 名無しさん 2014/05/19(月) 00:54:02.06
>>341のサイトざっと読んだけど下記の指摘がちょっと面白かった
即位が第一次と第二次あるのは従来の義経ジンギカン説でも議論されてるけど
金の百人隊長の話、というかその時期に注目した議論は初めて読んだ気がする

1194年に成吉思汗が金の百人隊長に任じられたという記事はいくらかの信憑性があるのかも知れない。
金の百人隊長に任じられたことは、モンゴルのかなり有力な部族の指導者の地位についたことを意味しよう。1189年に奥州を出立し、大陸に渡りモンゴルに行き、きっかけを掴んで部族の指導者となったとすれば、5年間という時間は不自然でない。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/nariyoshi/ushiwaka_32.htm
鎌倉知友 トップ.
http://www011.upp.so-net.ne.jp/nariyoshi/index.htm

352: 名無しさん 2014/05/23(金) 06:52:12.62
>>341
チンギスの虐殺話しが多少の誇張があったのは事実。
しかし、あくまで誇張があったというだけの話しで
虐殺話し全体が否定されるわけではない。

353: 名無しさん 2014/05/23(金) 07:00:57.09
あと>>341のサイトで
モンゴル人は血を流すのは好まず一気に殺すみたいなことが書いてあるけど、
これってもしかすると「モンゴルでの貴人に対する処刑法」の事だろうか?

処刑する人物の全身を白い布で覆って馬で踏みつけて処刑するというのが
モンゴル人にとっての高貴な人物を処刑する方法として知られ、
チンギスの旧友のジャムカなどもそうやって処刑されたらしいが、
モンゴル人以外にとっては「とても残虐な処刑法」としか思えない。
勿論、日本人から見てもとても痛々しくて旧友をこんな方法で殺したくない。
これなら縛り首とか斬首のほうがよっぽど人道的だが。

357: 名無しさん 2014/05/25(日) 11:41:51.57
>>353
>英雄じゃなくて虐殺者扱いされるのも

は?
英雄と虐殺者は普通、重なるもんだぞ。
ましてや、自国の英雄が他国では虐殺者とか極悪人なのはもっと普通だしなあ。
我々、日本人は織田信長を英雄詩するが彼が虐殺者でもある事は
子供でも知ってるしなあ。
もっとも、信長も延暦寺の焼き討ちとかは誇張されたものである事が最近わかってるが。

それにモンゴルの人なら当時のモンゴル高原の部族間抗争が「殲滅」に近いものだったことなど
誰でも知ってるだろうし、チンギス=英雄=虐殺者だなんてすんなりと受け入れてると思うぞ。

383: 名無しさん 2014/06/24(火) 10:19:12.78
>>353
アッバース朝のカリフをそうやって殺したせいで、イスラムの反モンゴル感情は極限まで達したそうだしな

342: 名無しさん 2014/05/18(日) 23:50:20.74
モンゴルの英雄を日本人が奪うな的な批判ならともかく
チンギス自体の評価に踏み込むと色々と難しいよね
今だとパックスモンゴリア的な再評価もあるわけだし

344: 名無しさん 2014/05/20(火) 02:11:16.62
そうそう、金といえば
金史別本は出版されたことは無い、何度も繰り返すけど

昨日ちょっと気になって宝島文庫「陰謀大全」を立ち読み確認したけど
長山靖生の小谷部批判の項、やっぱり金史別本が出版され云々と書いてあった
長山は影響力あるから金史別本出版という間違いは当分続くんだろうね

初出の別冊宝島「陰謀がいっぱい」は画像が幾つか載ってたと思うけど
文庫版の大全の方は載ってなかったな

346: 名無しさん 2014/05/21(水) 02:34:56.25
ああそうだ、>>344に関して忘れないうちにちょっとメモ
長山は末松(謙澄)が英国で出版した義経ジンギスカン論文について
「グリフィスによれば」などと架空の説を述べてる、と書いてた
この長山の指摘を以前に読んだ記憶があったから
英国公使デビスによれば~とか言われても
実物確認出来るまで俺は信用したくないんだわ

377: 名無しさん 2014/05/29(木) 04:45:01.22
>>344も再々度繰り返すけど
金史別本は実在しないし出版も当然されてない
ネット上のソースとしては最近見つけたこれが一番

源義経チンギス・ハーン説 - ASIOS -
http://www.asios.org/yoshitsune.html
>『金史別伝』は偽系図作りで有名な沢田源内(1619~1688)がその「逸文」のみを偽作したもので実在しない書物だ。

これ原田実が書いてるんだよな
さすがプロだけあって簡潔明瞭でソツの無い名解説
ウィキペディアの外部リンクにも是非載せるべき
ただ沢田源内説は俺は保留中だけど

421: 名無しさん 2016/09/12(月) 02:19:58.99
ウィキペディアの「義経=ジンギスカン説」を久しぶりに見直してみたけど
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC
俺が指摘した間違いについて一部は直してるところもあるみたいだけど
>>331-337 >>344-345 >>371 >>377
全体としてはむしろ明らかな間違いがより増殖・悪化しててワロタ
全然気が進まないけど(他の編集者と揉めそうだし)ウィキ編集に俺も加わった方がいいのかなあと

345: 名無しさん 2014/05/21(水) 00:47:38.71
さっき気付いたけど
義経ジンギカン説ウィキペディアが先月くらいから頻繁に更新されてるな
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC&action=history
俺の指摘も少しは反映されてるかと期待したけど全然関係無かった、残念w
ていうか、なんか本来の説そのものとは直接関係ない知識自慢合戦になってるような

347: 名無しさん 2014/05/22(木) 00:29:11.26
(以下、Yahoo!知恵での袋義経ジンギスカン説の回答から)

これが仰々しく広まったのは伊藤博文の娘婿、末松謙澄がイギリス留学中に匿名で発表した論文が始めです。これは架空の参考文献を捏造する等かなり怪しい代物です
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1350385798

末松謙澄がイギリスで発表した論文は「金史別本」をさらに誇大拡張した物です。末松が後に自らの論文を「でっちあげ」と告白したのは論文の参考文献としたものが「架空の作品」とバレたからです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1262991687

末松はイギリスに留学していた時に偽名を使い論文として「義経=チンギスハン」説を発表しています。
「金史別本」を誇大拡張したもので、後に参考文献として挙げた物が「架空の書物」とバレたために自ら「自分の論説はでっち上げ」と告白しています。
つまり「義経=チンギスハン」説は偽書を捏造した史料で証明していると言う代物です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1064916935

「義経=チンギスハン説」の形を作ったのは、伊藤博文の娘婿で伊藤内閣でも通信大臣や内務大臣を歴任した「末松謙澄」です。
末松は英国留学時代、偽名を使い英文で「義経=チンギスハン説」を論文として発表しています。
さらに架空の参考文献をでっち上げあたかも信憑性が高いようにつくろってます(これは参考文献が架空である事がバレた為に後に末松本人がデタラメな説話だと言う事を認めている)。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1476195584

348: 名無しさん 2014/05/22(木) 00:33:13.08
>>347訂正

× Yahoo!知恵での袋義経ジンギスカン説の回答
○ Yahoo!知恵袋での義経ジンギスカン説の回答

349: 名無しさん 2014/05/22(木) 22:59:30.78
最近の本。高井忍『蜃気楼の王国』に義経ジンギスカン説ネタの短編。
シーボルトが悪ノリしてでっち上げたら
朱子学の林家を怒らせて国外追放くらった。

351: 名無しさん 2014/05/23(金) 00:23:58.42
>>349
お、これは是非近いうちに読んでみよう
短編だと立ち読み出来そうだしw

義経ジンギスカン説ネタだと何年か前に
柴田哲孝「草原に咲く一輪の花」(『異聞太平洋戦記』所収)を読んだ
小説自体は上手いなとは思ったけど
肝心の義経ジンギスカン説の扱いがショボくて残念

350: 名無しさん 2014/05/23(金) 00:10:48.80
>>347-348
この回答は全て同じ人でベストアンサーにも度々なってるけど
グリフィスという人はそんな説は言っていないということなのか
グリフィスという人物自体も架空なのかがちょっと気になる

376: 名無しさん 2014/05/29(木) 04:25:34.68
ちょっと気になって>>350を改めて考えてみたけど
架空の文献って普通は実在しない人の名義にするよな
明治初期の日本で発表ならともかく末松の論文って英国で出版だし
実在する欧米人が言ってない書いてない話を捏造したら
本人にもバレやすいしバレたら当然大問題だろうし
とりあえずグリフィス某は実在しないという方向で考えるか

379: 名無しさん 2014/06/01(日) 01:44:55.43
>>376
「普通は」実在しない人物を作者にするけど、
たまに実在の人物を作者にする架空の本もあるんだよ。
間抜けな話しだが・・・

354: 名無しさん 2014/05/24(土) 02:48:44.20
いやモンゴルの人が聞いたらどう思うかという流れが>>341-342

自民族の英雄が外国人扱いされるのも
英雄じゃなくて虐殺者扱いされるのも
どっちもイヤだろうね

355: 名無しさん 2014/05/24(土) 02:59:34.12
あと大地を血で汚すのはタブーなのがモンゴルの伝統らしい
羊を解体する時も血が落ちないよう独特の技法でやるとか

356: 名無しさん 2014/05/24(土) 03:40:09.23
さっきウィキペディア見たら外部リンクにYouTubeが加わってたw
こんな動画あったのか
てかこれ面白すぎワロタwwwwww
もうツッコミどころ多すぎて一体どうすればw

【歴史ミステリー】源義経は生きていた!?北の大地・アイヌ民族との奇妙な接点!! - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=M__nvvf9XyY

358: 名無しさん 2014/05/25(日) 11:42:31.18
チンギスはソ連の影響で「文明の破壊者」「大殺戮者」という史観が公式で
自国民にそういう教育もなされてきたそうだけど、

共産主義が崩壊してつい近年になって、
チンギスを英雄とまつりあげる史観が少しずつ出てきたとか。
それでも、人々はチンギスが虐殺者の一面持ってたことはよくわかってるだろうな。

359: 名無しさん 2014/05/25(日) 11:43:10.86
そもそも、チンギス・ハーンって
「モンゴルの礎を築いた」という一点以外に功績があるんだろうか?
「功罪」とは言うもののチンギスの場合は「罪」の部分ばかりな気がする。

信長とか始皇帝の場合は虐殺はしても「国家統一」という大義名分があるし
スターリンも毛沢東ですら虐殺ばかりではなく「功績」の部分は数多い。
ヨーロッパが世界中を植民地化し虐殺したのも世界中に文明を伝えたのも事実だし、
絶対悪とは言い切れないし、イスラムも同じ。
しかし、それに比較してチンギスは一時的に世界的大帝国を作ったがなにか良い事したか?

チンギスの虐殺が彼を憎むイスラムやヨーロッパや中国や中央アジア諸国の憎しみや怒りからなんて意見もあるが
そりゃ彼らがチンギスを憎んで当たり前なのではないだろうか?
とにかく、チンギスは恐るべき侵略者なのは確かで、
日本にとってもフビライの侵略を受けた。
日本はたまたま強かったから撃退できたから憎しみは薄いが、
チンギスやモンゴルに支配されたり虐殺されたり
西夏みたいに殲滅された人たちにとってはたまったものではない。
しかも信長の天下統一のような大義名分もない。

360: 名無しさん 2014/05/25(日) 11:44:14.43
なお、ロシアの元が実はチンギスの長男の家系のバトゥハン国だったという説があるが、
確かにロシアの侵略性や領土拡張性はチンギスやバトゥの帝国に通じるものがあるが、
もし、そうだったとしたら、なんて迷惑な話なんだろう・・・

世界中の国がロシアに領土を取られ、日本も酷い目にあって樺太千島を取られたりしてる。
中国やモンゴルも被害にあってる。
チンギスとはつくづく罪作りな男だ・・・

361: 名無しさん 2014/05/25(日) 19:11:51.50
明治の日本は、今の韓国と同じ捏造大国だったのさ。どの国も一度は通る優秀民族主義。
ジンギスカンが義経ならモンゴル軍を率いて最初に日本へ逆襲してるよ、心情的に。

362: 名無しさん 2014/05/26(月) 07:03:59.71
日ユ同祖論、キリスト渡来説、ブッダ、マホメット、モーゼは日本に渡来して学んだ。
そして竹内文書の人類は三千億年前に富山県あたりにプレアデス人が降りて開闢した。
あと、人類は琵琶湖で発祥したなんて説もあったな。
明治あたりは日本の外国に対するコンプレックスからこの手の説が花盛りだった。

363: 名無しさん 2014/05/26(月) 10:00:09.72
それは平成になってからも変わってないよ。

「人麻呂の暗号」万葉集は古代朝鮮語で読める
「維新の暗号」明治維新も坂本龍馬暗殺もフリーメーソンのせい
「信長と十字架」信長の黒幕は南欧グローバルなんちゃら、いろいろあって本能寺の変も黒幕
「写楽閉じた国の幻」東洲斎写楽の正体はオランダ人
「もうひとりの写楽」東洲斎写楽と十返舎一九の正体は朝鮮人

他に何があったっけ?
島国コンプレックス丸出しの珍説ばかりが持て囃される。

365: 名無しさん 2014/05/26(月) 18:24:25.40
>>363
>「人麻呂の暗号」万葉集は古代朝鮮語で読める
>「もうひとりの写楽」東洲斎写楽と十返舎一九の正体は朝鮮人

言いたい事はわかるが、この部分に関しては
日本の優れた文化は朝鮮のものと言い張る半島根性だろ。

364: 名無しさん 2014/05/26(月) 15:15:18.88
まず、義経が何とか北へ逃れても、ど田舎の東北地方には大陸に渡る航路とかもまだ開発されてないわけで、仮に渡ったところで言葉を習うところからスタート⇒そしてモンゴル帝国とか。

子供でも分かる『無理ゲー』

370: 名無しさん 2014/05/27(火) 23:58:02.17
>>364
>ど田舎の東北地方には大陸に渡る航路とかもまだ開発されてない

まずウィキペディアくらいは読んで勉強しようか
マルコポーロの言う黄金の都ジパングは
中世の奥州平泉だという説は結構有名だよ

義経=ジンギスカン説 - Wikipedia
5 中世の藤原氏北方貿易
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC#.E4.B8.AD.E4.B8.96.E3.81.AE.E8.97.A4.E5.8E.9F.E6.B0.8F.E5.8C.97.E6.96.B9.E8.B2.BF.E6.98.93

372: 名無しさん 2014/05/28(水) 00:31:46.68
>>370の「中世の藤原氏北方貿易」本文は渡党にリンク付いてるね
渡党のここまで詳しい概要説明って初めて読んだわ
こういう正規の歴史分野だとウィキペディアも勉強になるな

渡党 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E5%85%9A

373: 名無しさん 2014/05/28(水) 07:59:58.46
>>370お前、バカ歴女か?ジパングの金の家が奥州平泉の金色堂なのは解る。だが大陸への東北からの海路は不明。論文はあてにならない。

374: 名無しさん 2014/05/28(水) 08:47:11.00
マルコポーロのジパングも全然正確では無いのはすぐに解るだろ。金の家なんかやっと一軒あるだけなのにあたかも黄金の国であるかのような記述。
つまり記述の信憑性をまず疑えよ、>>370

366: 名無しさん 2014/05/26(月) 19:53:28.41
「もうひとりの写楽」はそうだが
「人麻呂の暗号」は日本原産。
藤村由加で検索かけてみ。

昭和の間は日本文化は何でもかんでも半島経由
「くだらない」は「百済じゃない!」みたいな論は
TV局や出版社を中心に支配的だった。

367: 名無しさん 2014/05/27(火) 09:10:05.40
だいたい論文って自分の仮説を論理的に文章にして発表するだけだろうが。論文を論拠に『義経⇒チンギス汗』とか言ってたら韓国人なみの脳みそだぞ?

368: 名無しさん 2014/05/27(火) 09:13:51.14
韓国人による『韓国起源説』みたいなところが、明治の日本にもあったということだ。

371: 名無しさん 2014/05/28(水) 00:12:26.31
最近もまたウィキペディアが更新されてるな
熱心に細かく直してて興味深いけど
肝心の義経ジンギスカン説そのものが相変わらずボロボロ
この説自体をよく知る人がウィキペディアにいないんだろうな
もともと学説でも何でもないからしょうがないけど
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC&action=history

375: 名無しさん 2014/05/29(木) 04:15:08.05
脊髄反射の人だったか、残念

378: 名無しさん 2014/05/29(木) 07:45:01.44
うん、実在しないのを論拠にしている時点でその部分に関しては論理が崩れている。
例えるなら魁男塾の『民明書房刊』と同じで存在しないものを論拠としているようなもの。
ちなみに20年以上前だが、俺は神保町の三省堂書店へ行き「民明書房刊の本は有りますか」と尋ねた。
10分ほど待たされて「そうした本は有りません」と言われた。ひどくがっかりした経験がある。

380: 名無しさん 2014/06/01(日) 09:41:19.73
いや、リアリティを持たせるために実在の人間を作者にすることはある。
自筆原稿だけで出版されてないんだよ!とか
自費出版だから少部数しか発行されてないんだよ!とか。
大文学者なんかじゃなくて、そんな有名ではない人間を選ぶのがミソ。

381: 名無しさん 2014/06/01(日) 16:04:47.11
虐殺話し全体が否定されるわけではない。

382: 名無しさん 2014/06/17(火) 12:39:06.81
タチの悪い歴史の謎解き本だと
実在の人物が書いた実在の文書なのに
読者が原文を調べないだろうと思ってか
意訳してぜんぜん違う内容で紹介されていたりするぞ。
坂本龍馬の暗殺本とかな。

384: 名無しさん 2014/07/14(月) 19:42:41.25
>>306-328
ごくろうさん。
清朝皇室=成吉思汗の子孫って、昭和に入ってからの説だろうと何となく思っていたんだが、末松が出どころだったのか。
満州国どころか、清朝もまだあった頃にそんな主張するなんて大胆だ。
いまの感覚だと、北朝鮮に向かって「金日成は李成桂の子孫で、李成桂は日本人だったんだぞ!」といいだすようなものかな。

385: 名無しさん 2014/07/17(木) 09:26:48.23
ネット上のガセじゃね?

386: 名無しさん 2014/07/18(金) 16:39:43.40
でも日本にはこの説をマジで押してる学者が居るんだよな

387: 名無しさん 2014/07/19(土) 16:43:13.43
英国公使デビス~というのは
どうもこの人のことぽいな。

Sir John Francis Davis
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Francis_Davis

388: 名無しさん 2014/07/19(土) 16:45:03.64
中国関係の著書もいくつかあるが
『清国総録』がどれのことかは分からない。
元の子孫から清が出たというのも
どれに書いてあるのやら。

389: 名無しさん 2014/07/27(日) 22:38:12.51
ジンギスカンなんてヒトラーと一緒じゃん
侵略しまくり虐殺しまくりで人類史の汚点

日本だって二度の元寇で被害受けてるし
元のフビライハンはフランクリン・ルーズベルトやカーチス・ルメイと並ぶ日本史三大悪役の一人じゃん

そんな奴の先祖と義経を同一人物なんて説を出した阿呆は
義経が嫌いで卑しめたいだけなんだよ

シナ中共の胡錦涛を実は元旧日本軍の日本人だったといって
シナのチベット人虐殺を日本人の犯罪って事にするくらいの暴論

こんなのはオカルトネタだし日本人の大多数は全く信じてないけど

390: 名無しさん 2014/07/27(日) 22:41:15.56
ジンギスカンなんてヒトラーと一緒じゃん
侵略しまくりで虐殺しまくりで人類史の汚点
日本も二度の元寇の被害受けてるし
義経を卑しめるようなオカルト話なんて胸糞悪いだけだ

391: 名無しさん 2014/07/27(日) 22:42:10.12
ジンギスカンなんてナチスドイツのヒトラーと一緒だろ
日本だって二度の元寇被害を受けてるし侵略しまくり虐殺しまくりの人類史の汚点

392: 名無しさん 2014/07/28(月) 20:57:56.47
チンギスハンは侵略しまくり、虐殺しまくりの人類史の汚点だからヒトラーと同じ
アレクサンダーもカエサルもナポレオンもヒトラーの同類

こんなクズどもを英雄扱いする人間は野蛮人

393: 名無しさん 2014/08/04(月) 06:35:57.04
チンギス・ハンは侵略しまくり虐殺しまくりのクズだからヒトラーと一緒だし人類史の汚点

396: 名無しさん 2014/09/07(日) 10:03:34.55
>>393
> チンギス・ハンは侵略しまくり虐殺しまくりのクズだからヒトラーと一緒だし人類史の汚点

ヒトラーは民主主義が歴史に登場してからの民主主義の手続きを経て独裁者になって、侵略しまくったから、人類の汚点なのだ。
民主主義が登場する以前の国家は、強い王国が敵対する弱小王国を属国にするか、滅ぼすか、逆に滅ぼされるかしかないような時代だ。
現代史を乱暴に古代や中世に当てはめるものではない。

394: 名無しさん 2014/08/10(日) 11:51:42.64
ジンギスカンなんかを英雄扱いするから黄色人種は野蛮人だって馬鹿にされるんだし
こんな奴は人類史の汚点で黄色人種の面汚しと軽蔑するのが当然

397: 名無しさん 2014/09/07(日) 10:13:13.50
>>394
> ジンギスカンなんかを英雄扱いするから黄色人種は野蛮人だって馬鹿にされるんだし
> こんな奴は人類史の汚点で黄色人種の面汚しと軽蔑するのが当然

白人のアジアの植民地支配も、十分野蛮だと思うがな。スペインのコルテスなぞはインカ帝国を小部隊で征服して、南米は見る影も無い。インディアン側に経てば北米も似たり寄ったり。
これらも充分野蛮だと思うぞ。


>>394は知らず識らずのうちに白人至上主義に毒された意見だ。

395: 名無しさん 2014/08/21(木) 23:19:00.40
大国に囲まれたほぼ無勝、千敗の超~賎な民は馬や船に乗って来たヒャッハーなお兄さん達にGo韓
され続けたため、その末裔こそが周辺より気性の激しい△△魔となってしまったのは無慈悲な地政
学的宿命。リアル性器待つ覇者○○○○ハーンのYを継ぐ者が現在全世界で1600万人もいるが貢献大。
恨の文化や歴史捏造癖は、ドラマと異なり惨めな歴史故だがお陰で若干体格は良くなり一部のオバ
様達をあ~逞しいと言わしめましたとさ。あ~キムい、キムい。

399: 名無しさん 2014/10/05(日) 15:34:23.81
チンギス・ハーンの子孫=ヌルハチ説って
源義経生存説信者の他に支持している人いるの?

400: 名無しさん 2014/10/07(火) 16:52:25.67
何をどうすればツングース系の女真人がモンゴル人の子孫になれるのか
まだ金哀宗の末裔ヌルハチのほうが信じられる

401: 名無しさん 2014/10/15(水) 23:06:46.03
そんなことは高木彬光先生に聴いてくれ

402: 名無しさん 2014/10/18(土) 10:30:23.47
末松謙澄論文や小谷部全一郎「成吉思汗ハ源義経也」は
ネット上にも情報はたくさんあるけれども
福地桜痴『義経仁義主汗』と木村鷹太郎『義経ジンギスカン』については
調べても何も出てこない。

403: 名無しさん 2014/11/02(日) 07:55:15.34
>>402
簡易検索結果|「義経仁義主汗」に一致する資料: 12件中1から3件目|国立国会図書館サーチ
http://iss.ndl.go.jp/books?any=%E7%BE%A9%E7%B5%8C%E4%BB%81%E7%BE%A9%E4%B8%BB%E6%B1%97
国民小説 - Google ブックス
http://books.google.co.jp/books?id=LtRDOAAACAAJ
福地櫻痴集 - 福地櫻痴 - Google ブックス
http://books.google.co.jp/books?id=B3edAAAACAAJ

404: 名無しさん 2014/11/02(日) 08:30:13.47
義経仁義主汗は講談物、正直どうでもいい内容
ただ渡英前の末松と桜痴は仕事で面識があった

木村鷹太郎の義経ジンギスカンは多分実在しない
元を辿っても八切止夫のエッセイに名が出てるだけ
単に八切の記憶違いだと思われる
キムタカは戦前で既にトンデモの代名詞だったから
義経=成吉思汗もキムタカと思ってた人は結構多い

405: 名無しさん 2014/11/22(土) 22:11:04.59
>義経仁義主汗

この表記だと
Vシネマのやくざ映画みたいだ

>元を辿っても八切止夫のエッセイに名が出てるだけ

素で勘違いか
分かっていてテキトーなこと書いているのか
どっちなんだろな。

406: 名無しさん 2015/01/04(日) 07:48:29.81
清和源氏のDNAもジンギスカンのDNAも特定されてるし全然違うから別人

407: 名無しさん 2015/01/25(日) 08:30:53.24
>>406
ソース出せよ。
そんなガセネタで釣るなよ。

408: 名無しさん 2015/01/31(土) 13:23:37.84
史海&#38057;&#27785;&#8212;&#8212;浅&#35848;&#21382;史推理小&#35828;
http://www.shu4.com/file/624.html

中国のサイトで高木彬光の三部作への言及があるが、
中国人の目から見て「成吉思汗的秘密」ってどうなんだろ。
ジンギスカンの子孫からヌルハチが出て、しかもジンギスカンは日本人。

409: 名無しさん 2015/12/07(月) 20:48:21.14
今、テレ朝で放送してる番組で義経、チンギスのネタ流すっぽいなw
みんな見てたか?

410: 名無しさん 2016/01/10(日) 14:02:08.91
ジンギスカンの男系遺伝子はC3c系統で1600万人くらい同じ遺伝子持ってる人間がいるってロシアの学者が解明している
一方で義経の男系遺伝子は男系の天皇の子孫や清和源氏の子孫の男系遺伝子がD1b系統だった事からD1b系統だったと思われ

男系遺伝子が全く違うからジンギスカンと義経は別人

411: 名無しさん 2016/02/05(金) 16:36:49.49
>>410
数十のコロニーが数十万のコロニーに紛れ込んだ時、いくら男系遺伝子が男から男へ遺伝していくとしても、統計的処理を施す系統に変化を及ぼすとは思えない。仮にモンゴルに日本人が数十人帰化したところで系統は少しも変化しない。
系統でもって、義経チンギスハン説を否定するには無理がある。
モンゴル人一人残らずDNA解析をして、D系統が一人もいなかったなら別だが。そんな調査は誰もできないだろう。

412: 名無しさん 2016/05/16(月) 21:42:35.01
『成吉思汗の秘密』
井村助教授との対決あたりまではまだ考証ゲームの体裁保てているけれど
成吉思汗の子孫から清朝の皇帝が出てきたという話題のあたりが本当に意味不明・・・
いや、メタ的には従来からある成吉思汗説と清朝皇帝先祖説をいっしょに採用してしまおうと欲張ったんだろうけれども。
清朝皇帝先祖説が昔からある(といおうかこっちの方が歴史は古い)ことを伏せたまま
神津が自分で思いついたアイデアにしてしまったせいで
なんでこんな仮定が成り立つのか意味わかんない感が倍率ドンさらに倍増しになっている。

418: 名無しさん 2016/09/11(日) 23:51:41.63
>>412
うーん
俺が初めて『成吉思汗の秘密』 を読んだ時の印象で言うと
良い意味で斜め上というか怒涛の展開で意外と面白かったけどな
もともと『成吉思汗の秘密』 は天城山心中の章で終わりだった(初出時)
つまり本来の終章だった愛新覚羅の悲恋話へ結びつける効果を考えれば
「元祖説→清祖説」の順に出した方が効果的だったのは確かじゃないかな

ていうか、ググって初めて知ったけど天城山心中も異説(無理心中説)があるんだなw

天城山心中 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9F%8E%E5%B1%B1%E5%BF%83%E4%B8%AD
天城山心中 - Google 検索
https://www.google.co.jp/#q=%E5%A4%A9%E5%9F%8E%E5%B1%B1%E5%BF%83%E4%B8%AD

413: 名無しさん 2016/05/19(木) 12:18:01.02
今日の大相撲を見ても
日本人がモンゴル征服するのはムリだろと思う

414: 名無しさん 2016/06/24(金) 08:49:00.29
世界史上同じような事例ってあるのかなあ?

417: 名無しさん 2016/08/29(月) 10:47:28.68
>>414
韓国人が
天皇の祖先(神武だったり崇神だったり)は韓国人!
韓国から日本へ渡った!
といっているのと本質的には同じなんだろな。

415: 名無しさん 2016/07/01(金) 20:08:58.21
これ、北行伝説や清朝皇帝の御先祖説はけっこう成立の経緯がはっきりしているんだけれど
ジンギスカン説がどこから出てきたか分からない。
幕末明治になって突然発生する。
ホントにシーボルトのアイデアじゃないかと疑いたくなる。

420: 名無しさん 2016/09/12(月) 01:51:23.26
>>415
うーん
シーボルトより前というと、先ずは吉雄忠次郎(※)の線になるけど
「吉雄本人が何か書き遺してないか遺品を探し出して確認する」
とかはもう流石に俺は全然ヤル気無いw
そもそも遺品なんか残ってるかどうかも分からないしなあ、、、

(※)以下参考
謎解き 超常現象3 - ASIOS - Google ブックス
https://books.google.co.jp/books?id=7MhdDAAAQBAJ&pg=RA2-PA196&lpg=RA2-PA196&dq=吉雄忠次郎

416: 名無しさん 2016/08/29(月) 10:45:29.75
『成吉思汗の秘密』のタチ悪いところは
トンデモ説そのものより、
研究者disっておいたら
トンデモ並べても説得力があるように見える、という手口を確立したこと。

419: 名無しさん 2016/09/12(月) 00:28:03.06
そういえば、元と清の関係について最近たまたま見つけたのがこれ
これ読む限りで言えば、元≒清みたいな話も一概に噴飯物とは言えないのかなあと思った

東アジア歴史人物辞典【北元・モンゴル】
http://homepage1.nifty.com/history/history/beiyuan.htm
教科書によると『元』は中国人王朝である『明(みん)』によって滅ぼされ とって替わられたように書いてある。
「えらくあっさりと滅びたなあ。」 俺も、そう信じ込んでいた。でも、実際は全然違ったんだよね。
中国とモンゴルは別のモノなんだから 明王朝が中国を奪還しただけであって 元の皇帝は本国であるモンゴル高原に戻っただけなんだよね。
んで、その後もずーっと存続した。これを「北に行った元」という意味で『北元』というんです。たぶん。
中国・明王朝の時代から清王朝が始まるまで北の強国としてがんばってた。中国に攻め込むことたびたび。
最後は分裂して、同じく北方民族の満州族に吸収された。この満州族が明を滅ぼし、清王朝を作る。
そのときの大義名分は 「我々はモンゴル大ハーンの後継者である」だった。
俺、この「元の末裔たち」について調べようと思ったのだけれど しろうとが近所の図書館で探した程度では何も、なーんにもわからんのですよ。
あちこち資料を探し回って、ようやくなんとなーく解ったような気がしてきたので、とりあえず彼らの系図を作ってみた。
本職の研究者が見たら笑われてしまうだろうがわかりやすい系図を作ってくれないあんたらが悪いんだよ!
実際、文献がほとんど無い時代らしくて、研究者もわからない謎の時代らしいから、しかたないんだけどね。
日本で言うと、邪馬台国の時代みたいなもんだ。…と思う。

431: 名無しさん 2016/10/28(金) 17:33:10.59
>>419
>我々はモンゴル大ハーンの後継者である

たぶん、それは>>325-326
ホンタイジが北元を併合してハーン位に就いたという話をいっているんじゃないだろか。

422: 名無しさん 2016/09/12(月) 03:01:51.82
というわけで約2年ぶりにこのスレに来てウィキも見たけど
とりあえずウィキは最後の外部リンクを充実させた方がいいのかも
この説について一気読みできる入門的なサイトを並べてみたいな
あと>>387-388も、せっかく見つけてくれたから是非追求してみたい

まあ時間があればまた来週w

424: 名無しさん 2016/09/19(月) 12:51:55.02
源義経を5分で!牛若丸の伝説やチンギス・ハーン説について
http://r-ijin.com/minamotono-yositune/
源義経とジンギスカン同一人物説
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/1541/eiyuu.html
一人二役の謎 YO・JO
http://www7b.biglobe.ne.jp/~choreki/futayaku.htm
静御前~なすよしもがな=成吉思汗~ジンギス汗=源義経
http://hachi-style.jugem.jp/?eid=310
源 義経 は 成吉思汗
http://sky.geocities.jp/shizukagozenmaihime/sub01.htm
新説・日本の歴史第21弾 義経北行説を検証する
https://web.archive.org/web/20130311223250/http://home.att.ne.jp/banana/history/Dai21-Yoshitune.html
新説・日本の歴史第22弾 義経・成吉思汗説を追う
https://web.archive.org/web/20130508075851/http://home.att.ne.jp/banana/history/Dai22-Jinngisukan.html

427: 名無しさん 2016/09/19(月) 13:14:57.21
ふう、一気読みできそうな入門的なサイトをどうにか集めてみた
>>424は昔からある定番的なサイトが多いかな
>>425(「37.義経=ジンギスカン説」)はなぜかNGワード扱いで貼れないんで
google検索結果を貼ってみた、検索トップに出るのが該当サイト
>>426は明確に否定的立場からのもの
web.archiveのサイトは直リン出来てない様だからアドレスを手動コピペして見てくれw

425: 名無しさん 2016/09/19(月) 12:55:50.08

426: 名無しさん 2016/09/19(月) 13:01:37.20
源義経チンギス・ハーン説 - ASIOS -
http://www.asios.org/yoshitsune.html
義経、北へ行く。
http://blogs.yahoo.co.jp/to7002/36390525.html
義経=ジンギスカン伝説を追う
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/19_yoshi.html
大正の大衆が熱狂した「源義経=ジンギスカン」の奇想天外説
http://www.news-postseven.com/archives/20141113_285221.html
「義経=ジンギスカン伝説」について
http://web.archive.org/web/20160304193355/http://web.kyoto-inet.or.jp/people/cozy-p/yositune.html

428: 名無しさん 2016/09/19(月) 13:23:16.56

429: 名無しさん 2016/09/19(月) 13:42:38.56
>>428の「北行伝説」「Electronic Journal」は古くからの定番
特に「Electronic Journal」は成吉思汗説までの集大成
北行説から始まり成吉思汗説に至る内容詳細がほぼ分かる
「源義経死なず」「新・成吉思汗」はまあ余力があればw
最後の「モンゴル・ウルス」はとにかく独自の見解展開で
個人的には超読み応えがあったんで貼ってみた

430: 名無しさん 2016/09/19(月) 13:48:18.93
今日貼るのは入門的なサイトのみのつもりだったけど
次に来れるの何時か分からんし本格的なのも貼ってみた
じゃ来れたらまた来週w

433: 名無しさん 2016/11/22(火) 00:17:07.93
「成吉思汗の秘密」の最後の方で
「成吉思汗」を万葉仮名として読んだら「なすよしもがな」になると書いてあったけれど
万葉仮名は一字一音で読むんだから「せきしか」とか「なよしか」になるんじゃないか?

434: 名無しさん 2017/01/11(水) 23:25:21.84
獣神化きたね 今頃ヤマタケ最適とかいらねーわ

435: 名無しさん 2017/03/20(月) 22:31:44.12
ありえない

436: 名無しさん 2017/03/22(水) 22:43:18.42
別にモンゴルに渡る意味が無いように思える
北海道でも行った方がまだ解る

437: 名無しさん 2017/03/25(土) 14:33:58.06
>>436
伝説では北海道からモンゴルに渡ったという伝説だよ。
積丹半島から渡ったそうなw
あの当時(平安末期)の小船で日本海の荒波を渡るとか、ちょっと有り得ないと思うけどw

438: 名無しさん 2017/04/19(水) 04:00:58.33
エッセイストの木屋隆安氏はメキシコの旅行社から送られた英文パンフレット『メキシコの伝説』にある話として、次の「伝説」を紹介している。
「兄頼朝に追われた源義経は、かつてメキシコの領地であったカリフォルニアの地に漂着して、アステカ族の大酋長となり、テメフ王国の始祖になった。
こうした多くの伝説のため、アメリカ・インディアンやメキシコ人の中には、自分たちと日本人は同じ祖先を持っていると信じている者が多い」
いわゆるジンギスカン義経説の一変種といえよう。
(「偽史列伝 古代中国人のアメリカ渡航」より。アドレスはNGワード規制で貼れず)

439: 名無しさん 2017/04/19(水) 04:07:20.84
【歴史】直虎は「女城主」ではなかった?別の男性とする新たな新史料見つかる
959 : 名無しさん@1周年 2017/04/12(水) 03:41
義経ジンギスカンまであと一歩
http://itest.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1492482101/

【悲報】井伊直虎は「女城主」ではなかった?別の男性とする新たな新史料がまた見つかる
71 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 2017/04/11(火) 13:56
> 54
それならそのハッキリした人で女城主やればいいだろ
直虎を女と決めつけるなら義経がチンギス・ハンになる大河ドラマだって出来るわ
http://itest.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1491882053/

440: 名無しさん 2017/04/19(水) 04:11:29.17
とんでも 仮説(1) 義経=チンギスハン説
http://www.ffortune.net/symbol/zzz/tondemo/ton001.htm
源義経とチンギスハンは同一人物!? _ ひすとりびあ
http://historivia.com/cat7/minamoto-no-yoshitsune/1537/
【源義経=チンギスハン?】日本人なら知っていたい!歴史にまつわる都市伝説7選
2016-11-03
http://a-mp.jp/article/10490

441: 名無しさん 2017/04/19(水) 04:28:30.41
「源義経北行伝説」の謎 _ 歴史人 _ KKベストセラーズ
千葉信胤
http://best-times.jp/category/rj-column-yoshitsunehokko

第1回 _ 史実と伝説が渾然一体となった謎めいた源義経の人物像
2017.3.23
http://best-times.jp/articles/-/5036
第2回 _ 義経の伝説が生まれた背景にある「あまりにも静かな最期」
2017.3.26
http://best-times.jp/articles/-/5047
第3回 _ 義経伝説のエンディングは「衣川の戦い」で分岐する
2017.3.30
http://best-times.jp/articles/-/5048
第4回 _ 源義経が海を渡り大将軍に!蝦夷地に渡る「偽書」の流通
2017.4.6
http://best-times.jp/articles/-/5049
第5回 _ 義経=チンギス・ハン説を唱えたのは、あの有名な「外国人医師」だった!
2017.4.9
http://best-times.jp/articles/-/5237
第6回 _ 源義経人気に火を点けた、江戸の「メディアミックス」
2017.4.13
http://best-times.jp/articles/-/5250

442: 名無しさん 2017/04/22(土) 15:47:53.07
第7回 _ “伊藤博文の片腕”の卒論は「源義経=チンギス・ハン説」だった
2017.4.20
http://best-times.jp/articles/-/5251

443: 名無しさん 2017/04/25(火) 07:36:29.50
【日本 武器】義経=チンギス・ハン説を唱えたのは、あの有名な「外国人医師」だった!
https://ヤフコメ.com/comments.html/20170409-00005237-besttimes-cul

444: 名無しさん 2017/04/27(木) 00:59:19.34
義経=チンギス・ハーンはシーボルトがいいだしっぺというのは
高井忍が小説で書いていたなあ。
清朝皇帝の先祖が
いつからチンギス・ハーンになっちゃったのか
そっちの方がいいだしっぺを知りたい。末松でいいのか?

445: 名無しさん 2017/05/13(土) 07:09:42.57
第8回 _ ファン、研究者を駆り立てる「源義経北行伝説」のロマン
2017.4.27
http://best-times.jp/articles/-/5252

446: 名無しさん 2017/05/13(土) 07:12:51.93
昭和33年(1958)推理小説作家高木彬光が『成吉思汗(ジンギスカン)の秘密』を発表して再び「義経=成吉思汗説」が話題になった。
本書は戦前の小谷部説にいたるまでの経緯を大略踏まえているだけでなく、アームチェア・ディテクティブ(安楽椅子探偵)ならぬベッド・ディテクティブの傑作としても名高く、今なお読みつがれるロングセラーである。
「北行伝説」は本書によって歴史ミステリーとしてよみがえったといってもいい。そのことは、現在に到るまで、しばしばマスメディアが好奇の眼でもってこの伝説を取り上げていることと深く結びつく。
http://best-times.jp/articles/-/5252

447: 名無しさん 2017/05/25(木) 00:40:29.67
直接証拠が全く無い

448: 名無しさん 2017/05/25(木) 19:18:57.17
この説で一番ムチャなのは
ジンギスカンの子孫がヌルハチだってことだと思う。

449: 名無しさん 2017/05/30(火) 05:32:56.19
「義経=成吉思汗」本・基本必読書一覧

1.高木彬光『成吉思汗の秘密』1958、光文社
(1960~、カッパノベルス/角川文庫/ハルキ文庫/光文社文庫)
2.佐々木勝三/三大町北造/横田正二『成吉思汗は源義経 義経は生きていた』1977、勁文社
(『義経伝説の謎 成吉思汗は源義経か』1986、勁文社)
(『義経伝説の謎 成吉思汗は源義経か』1991、ケイブンシャブックス)
(『源義経と成吉思汗の謎 衣川偽戦!義経は生きて北へ』2000、勁文社)
3.『歴史への招待 9』1980/復刻版1994、日本放送出版協会 ー「義経は生きていた?」
(『NHK歴史への招待 第5巻 無敵義経軍団』1990、新コンパクトシリーズ/日本放送出版協会)
4.NHK歴史発見取材班『NHK歴史発見 5』1993、角川書店 ー「義経渡海伝説、ここに始まる」
5.丘英夫『新ジンギスカンの謎』2002、叢文社
6.荒巻義雄/合田一道『義経伝説推理行』1993、徳間文庫
7.森村宗冬『義経伝説と日本人』2005、平凡社新書

450: 名無しさん 2017/05/30(火) 06:12:34.94
>>449解説)
どれも一般読者向けに書かれてるからそんなに難しくないし、5と6を除けば大きな図書館だと置いてる所が多い。

1は最初に出た1958単行本には第16章(最終章)が入ってない。光文社文庫版は高木彬光の関連エッセイとかも一緒に入っててお得。
2は同じ三者共著で何度も出てるけど題名変えてるだけで内容はどれも同じ。
3は大型ムック本で写真も多く楽しい、1994復刻版も同型ハードカバー。1990版は新書判で手に持って読み易いけど写真は無い、ただ編集が違ってて「無敵義経軍団」も入ってる点はお得。
4は小さい白黒写真だけど、加藤謙斉『義経実記』中の金史別本の引用ページが載ってるのが珍しい。
5の丘さんは後にもう1冊出てるけど、たぶん内容同じで題名変えただけだと思う。
6はロシア領の蘇城(義経の城とされた所)に行こうとしたら案内人に誤魔化されて素通りされた話とか。
7はAmazonから電子書籍も出ててそっちが便利そうだけどちょっと高いな(\1780)。

455: 名無しさん 2017/05/31(水) 08:40:35.12
(以下訂正)
>>449
× 2.佐々木勝三/三大町北造/横田正二
○ 2.佐々木勝三/大町北造/横田正二
>>450
× 「無敵義経軍団」
○ 「無敵義経騎馬軍団」
× 加藤謙斉『義経実記』
○ 加藤謙斉『鎌倉実記』

451: 名無しさん 2017/05/30(火) 06:33:48.41
このスレ、ずいぶん久しぶりに来たな
>>449のリストは以前に画像アドとかも含めたメモ作ってたはずだけど、PC内に見つからないから書誌情報だけ改めて作った疲れた、ふう
>>449以外にも「義経=成吉思汗」本は色々あるけど、別に新説は無いとか入手が難しいとかネットで十分とかがほとんど

ずいぶん間が空いたけど、これでネット上のサイトも活字出版本も基本の紹介は終わったから
後は実在や真偽が怪しい文献の検証とかウィキペディアの改訂案とかに本格的に入りたいっす

452: 名無しさん 2017/05/30(火) 06:52:05.26
そういえば
『義経伝説と日本人』を探しに本屋に行った時、同じ新書棚で目に入った『偽書「武功夜話」の研究』もざっと立ち読みしたけどなかなか面白かったな
その『偽書「武功夜話」の研究』のAmazonレビュー読んでみたら面白いの発見、民明書房恐るべしw

「戦国から江戸初期を舞台にした歴史小説では」「『ザビエル河童説』などの民明書房の優れた文献群ぐらいである。(一部に記憶違いがあれば許して欲しい)」
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4896916263

453: 名無しさん 2017/05/30(火) 07:01:59.12
もう一つ
栗原柳庵の名が出てるの発見
この人の著書がシーボルトの「義経=成吉思汗」説関連で出てくるから、図書館行って確認したばかりだわ

「栗原柳庵「真書太閤記」で,永禄5年に秀吉が墨俣城を作った,それも奇計で一夜で作ったように見せかけたという筋立てにした」
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R18P1EO3KB60SV

456: 名無しさん 2017/05/31(水) 09:14:45.40
wiki改訂は以下3通りの方向で一応考えてみたけど、うーん
1は最初の案内(概説)、2と3は全体的な私案を作ってはみた

1.直接改訂(間違いなく荒れそうでイヤ)
2.新章を作り充実させる(「架空文献の章」)
3.別のwiki(『成吉思汗の秘密』)で充実

義経=ジンギスカン説 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/義経%3Dジンギスカン説
成吉思汗の秘密 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E5%90%89%E6%80%9D%E6%B1%97%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AF%86

459: 名無しさん 2017/06/02(金) 06:18:53.99
>>456の2(新章追加)について
義経=ジンギスカン説wikiの一番最後に「架空文献(非実在文献)」の章を新設して詳述する案
これは半年位前から考えて資料もだいぶ揃ったし計10項目ほどが完成間近まできた
ただ現行wiki自体が既に無駄に長いのに更に新章追加はどうよ?とここにきて躊躇
このまま完成しても、せいぜいこのスレで披露するだけで終わるかも

457: 名無しさん 2017/06/01(木) 06:31:36.83
義経=成吉思汗説のwikiは何かアレな感じの人が居座ってるみたいだし、編集合戦とかドン引きなことやる気無いから、1(改訂)ではなく2(増補)の方向で考えてたけど、もし俺が一から作り直すとどうなる?と遊びで冒頭だけ作ってみた
意外とよく出来たかな?とも思うし、他に発表する場も無いからここで披露してみる

義経=成吉思汗説(義経=チンギス・ハーン説)
[概説]
義経=成吉思汗(ジンギスカン)説または義経=チンギス・ハーン説とは、日本中世の武将・源義経(1159-1189?)と、モンゴル帝国の創始者チンギス・カン(1162?-1227)を同一人物とみなす歴史上の異説(奇説・珍説)。
主に江戸期を通じ成立した義経生存伝説(北行伝説及び入夷伝説/蝦夷渡海伝説、いわゆる「義経伝説」の一種)の変型・発展型として幕末頃に登場し、
明治から昭和期を通じて広く国内で認知され、現在も一部で根強く主張され続けている一方、モンゴル始め諸外国では基本的に認知されていない。
国内でもアカデミズム(正統史学)の立場からは一貫して否定されてきたが、話のスケールの大きさから一種の大衆向けロマンとして受け入れられやすい傾向があり、
第ニ次大戦での日本敗戦後に大陸(満蒙)への関心が薄れる中で、一人二役トリック・暗号ミステリ的な興味に特化した形でも定着した。
代表的文献としてはオランダで出版されたシーボルト『日本』(1833/天保4)に見られる記述を初出として、
末松謙澄・原著『義経再興記』(1885/明治18) → 小谷部全一郎『成吉思汗ハ源義経也』(1924/大正13) → 高木彬光『成吉思汗の秘密』(1958/昭和33)と辿ることが出来る。
なお明らかな偽書が論拠とされやすく政治色が付きまといがちでもあったため、現在では偽史・偽書や対外意識を巡る研究対象としてアカデミズム(歴史学及び社会学)で扱われることも多い。

458: 名無しさん 2017/06/01(木) 06:42:31.45
投稿の際に「長過ぎる行があります」と出てブツ切り気味になったけど、まあいいか
>>457(冒頭概説)を前提に各論の章立ても考えてみた

1 判官びいきと『御曹子島渡』(前史)
2 蝦夷地経営と『金史別本』
3 義経清祖説の発生と流布
4 シーボルトの主張と影響
5 末松謙澄と『義経再興記』
6『成吉思汗ハ源義経也』(小谷部全一郎・中島利一郎・金田一京助・鳥居龍蔵)
7 満州日日新聞 VS 岩崎克己
8 郷土史と歴史ミステリ(佐々木勝三と『成吉思汗の秘密』)
9 平成以降の研究者紹介(丘・中杉・七海・森村・橋本・池田・ASIOS)
10 モンゴル史研究におけるチンギス・カン像
付・架空文献とシベリア義経遺跡

上記の内、2~8の各章は目安600字で最大800字以内でまとめ、1は現行wikiの「7 義経不死伝説と御曹子島渡説話」を更に2/3に要約、10は「6 モンゴル史研究におけるチンギス・カン像」をそのまま使えばいい

以上で、ぼくのかんがえたりそうのうぃき終わり

460: 名無しさん 2017/06/02(金) 07:20:27.69
最後に>>457の3について
2から転じて『成吉思汗の秘密』wikiの方を増補・充実する案
現行は簡単で短いんであらためて章立てし詳述する方向で検討
先週に思いついてあれこれ考えたけどこれが一番楽しかったw

1 ストーリー
2 解説
3 海音寺潮五郎「義経と弁慶」
4 金田一京助「英雄不死伝説の見地から」
5 解題(本作の虚実)

1は現行をより詳しくして2~4は作品トリビア満載で原案完成
続けて5で義経=成吉思汗説をあらためて詳述説明する予定が
wiki編集方法が義経=成吉思汗説と違っててより難しいと判明
そもそも1~4はともかく5までやっていいのかも迷って挫折w

477: 名無しさん 2017/06/22(木) 05:58:03.18
>>457を加筆訂正してみた、「概説」としては文量的にこれが限界かな

義経=成吉思汗説(義経=チンギス・ハーン説)
義経=成吉思汗(ジンギスカン)説または義経=チンギス・ハーン説とは、日本中世の武将・源義経(1159-1189?)とモンゴル帝国の創始者チンギス・カン(1162?-1227)の二人が、実は同一人物だったとみなす歴史上の異説(奇説・珍説)。
[概説]
主に江戸期を通じて成立した義経生存伝説(北行伝説及び入夷伝説/蝦夷渡海伝説、いわゆる「義経伝説」の一種)の変型・発展型として幕末頃に登場した。
国内で記録された義経生存伝説が、鎖国下でも貿易関係にあったオランダを通じて海外に紹介され、それが義経=チンギス・ハーン説として発展し明治期に逆輸入されるという特殊な経過を辿っている。
海外での初出はオランダで出版されたシーボルト著『日本』内での記述(1852/嘉永5)で、説自体の単著としては末松謙澄が「K.SUYEMATZ」名で1879(明治12)年にイギリスで出版した論文。
明治以後、昭和期までに近代日本の大陸(満蒙)進出政策とも連動する形で広く認知され、現在でも一部で根強く主張され続けている一方、モンゴル始め諸外国では基本的に認知されていない。
国内でもアカデミズム(近代史学)からは一貫して否定されてきたが、話のスケールの大きさから一種の大衆向けロマンとして受け入れられやすい傾向があり、
また第ニ次大戦の敗戦で植民地としての満蒙を失って以降は、一人二役トリックや暗号ミステリ的な興味に特化した形で歴史推理小説の分野でも定着している。
この説を主張した代表的著作(ベストセラー)としては、末松謙澄・原著,内田弥八・訳『義経再興記』(1885/明治18)、小谷部全一郎『成吉思汗ハ源義経也』(1924/大正13)、高木彬光『成吉思汗の秘密』(1958/昭和33)などが挙げられる。
一方、これらの著作で論拠とされた文献に対する本格的な史料批判は、第二次大戦中に自費出版された岩崎克己の大著『義経入夷渡満説書誌』(1943/昭和18)で多くは完了しており、その主な内容は森村宗冬『義経伝説と日本人』(2005)でも知ることができる。
なおこの説は明らかな偽書が論拠とされやすく政治色も付きまといがちであったため、現代では偽史・偽書「や対外政策・意識に関わる研究対象としてアカデミズム(歴史学や社会学)で取り上げられることも多い。

479: 名無しさん 2017/06/23(金) 11:56:38.08
>>457
>>477
お疲れさま。
幕末になってから初めて出てきた説だということと
外国からの逆輸入で広まったという点は重要だよね。
もちろん従来の義経北行伝説や清祖説の発展なんだけど
ジンギスカン説はちょっと異質といおうか、
突然変異でいきなり出てきたみたいな感じ。

461: 名無しさん 2017/06/04(日) 04:11:40.22
先にちょっとメモ
昨日遠出した帰り、光文社文庫版『成吉思汗の秘密』がないかなと思ってブックオフに寄った
最初何気に見た百均棚で鯨統一郎『邪馬台国はどこですか?』が目に入りゲット
結局『成吉思汗の秘密』は無かったが光文社文庫版『邪馬台国の秘密』があり
何気に手に取って解説誰だろ?と開いたら、鯨統一郎だった
『成吉思汗の秘密』が大好きで、それで「邪馬台国は~」が産まれたらしい
買って帰った『邪馬台国はどこですか?』の奥付見たら第32版(2011)
『成吉思汗の秘密』並みにロングセラー化してて驚いた

463: 名無しさん 2017/06/06(火) 03:50:44.49
>>461ちょっと追記)
「邪馬台国はどこですか?」再読して気付いたけど
これ、高木彬光『邪馬台国の秘密』のパロディだわ
発表当時に誰か指摘した人いたんだろうか?
(具体的には以下3点が同じ)
・魏志倭人伝の読み下し文ズラズラ並べてスタート
・倭人伝内の方位方角は現代と違う(ズレてる)説
・2つある奴国は一周ぐるっと回って戻ってきた解釈
『秘密』は方位が黄道修正説でトンデモ化したから(※)
「どこですか?」も狙って超トンデモ方位を出したのか

464: 名無しさん 2017/06/06(火) 03:54:15.06
あ、>>463は最後の一行が抜けてた

(※)今出てる『秘密』は黄道修正説を全削除した「改稿新版」

462: 名無しさん 2017/06/04(日) 04:16:54.60
昨日は遠出した際に余った時間を使って
高井忍『蜃気楼の王国』所有の某所に寄って「蒙古帝の碑」を再読
前にスレで話題になった時に書店でざっと立ち読みした際は
捏造ワロタの印象しか残らなかったが、あらためて再読すると
かなり興味深い内容なのに気付き、半分ほどコピーさせてもらった
21C版『成吉思汗の秘密』と言っていい内容だと思う
wiki作りも飽きたんで、個人的にはしばらくこっちを検討したい

465: 名無しさん 2017/06/06(火) 03:56:35.78
「蒙古帝の碑」だけど、これ間違ってるわ

「嘉永三年(一八五〇)年、永楽舎一水『義経蝦夷勲功記』を著す。」
(『蜃気楼の王国』単行本P136.L10)

嘉永3年出版と言われてるのは同じ永楽舎の『義経蝦夷軍談』で
義経がジンギスカンになるらしいけど震災で燃えて現存してない
『(義経)蝦夷勲功記』の方は序に嘉永6年(1853)と明記してて
ネット(国会図書館デジタルコレクション他)で全文読めるけど 
ジンギスカンやら全く出てこない、蝦夷を平定しただけで終わり
(蝦夷平定だけなら先行書がいくつもあって独創性は別に無い)

『蜃気楼の王国』は去年12月に文庫化されてるけど直したのかな

466: 名無しさん 2017/06/13(火) 07:34:23.12
↑(>>465)の該当箇所
http://dl1.getuploader.com/g/gikei/6/136.jpg

以下、永楽舎一水『義経蝦夷軍談』(嘉永3/1850)に関するソース

義経=ジンギスカン説 - Wikipedia
1.16 江戸期の小説など
通俗小説の世界では、嘉永3年(1850年)に、永楽舎一水の『義経蝦夷談』に義経がジンギスカンになったとする話がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC#.E6.B1.9F.E6.88.B8.E6.9C.9F.E3.81.AE.E5.B0.8F.E8.AA.AC.E3.81.AA.E3.81.A9

「通俗小説の世界では、嘉永三年(一八五〇年)の序を有する永楽舎一水の『義経蝦夷軍談』に、ジンギスカンになったとする話がある。」
(H・V・シーボルト『小シーボルト蝦夷見聞記』1996/平凡社・東洋文庫597、「訳注」、P136.L11-12)
http://dl1.getuploader.com/g/gikei/7/173.jpg

「通俗小説の世界では、シーボルトとほぼ同時期の嘉永3年(1850)に至って、小川一水(永楽舎)は自著『義経蝦夷軍談』で義経がジンギスカンになったと書いている(島津久基『義経伝説と文学』)。」
(ASIOS『謎解き超常現象III』2012/彩図社、「第6章/33.源義経=ジンギスカン説の真実」、P196.L23-24)
http://dl1.getuploader.com/g/gikei/8/196.jpg

470: 名無しさん 2017/06/14(水) 12:38:47.70
>>465
文庫本、手元にあるよ。
「嘉永六年(一八五三)年、永楽舎一水『義経蝦夷勲功記』を著す。」
あちゃ。内容じゃなくて、題名に合わせて年の方を修正しちゃったかー。

「孫引きに決まっているではないか」by北斎(馬琴の本について)
きっと↑でそのまま書いちゃったんだね。
同じ作者の他の短編でトンデモ歴史家大戦をやったことあるが(八切×キムタカ×小谷部!)
参考文献に挙がっていたのは長山靖生や原田実の本ばかりで当人たちの著作はなかったし。
たぶん直接は読んでないな。

472: 名無しさん 2017/06/17(土) 17:20:11.12
>>470
おー、わざわざ確認ありがとう
斜め上の修正やっててワロタ
高井先生、何やってんすかw

高井はキムタカ登場作も書いてるとどっかで見たことあったけど
八切や小谷部とトンデモ歴史家大戦って何ぞそれ、面白すぐるw

467: 名無しさん 2017/06/13(火) 07:48:20.46
義経=ジンギスカン説のウィキペディアはシーボルトの章を中心に
『小シーボルト蝦夷見聞記』の訳注から大量に転載引用してるけど
「義経蝦夷談」の様な誤記(正しくは「義経蝦夷軍談」)も多いのな
転載元を明記してないのも問題だけど、まず誤記をどうにかしてほしいわ

468: 名無しさん 2017/06/13(火) 08:35:46.01
そういえばASIOSは森村宗冬を批判して
吉雄忠次郎が義経=ジンギスカン説を最初に唱えたのは
充分に在り得る話じゃないの?といった指摘してるけど

義経=ジンギスカン説は吉雄や永楽舎よりもっと前から
誰が思いついても不思議は無かったんじゃないかと思う
それを示すソースにちょっと前に気付いたけどまた後日

471: 名無しさん 2017/06/14(水) 13:02:33.59
>>468
ASIOSって何かと思ったら
謎解き超常現象か。
義経=ジンギスカン説もあつかっていたんだね。

最初に誰が考えついたのかと考えると
証拠はないからフィクションとしてしか通用しそうにないけれども
薩摩藩主の島津重豪あたりがいいだしっぺじゃないかとオレは疑っている。
世界史の知識がないことにはまず思いつかない説だし
源頼朝の落胤から島津家が出たと自称していて
支配下に置いていた琉球の為朝伝説を参考にしたとも考えられる。
シーボルトは源為朝の子孫=琉球王も詳しく紹介しているものね。
おまけにシーボルトどころか、
シーボルトのネタ元のティチング先輩とも大の仲良し。国内情報を渡しまくり。
こんな人は他にいないよ。

473: 名無しさん 2017/06/17(土) 17:39:23.28
>>471
ASIOSは原田実もいるからジンギスカン説まで扱ったんだろうね
ジンギスカン説の項を書いたのはメンバー中の藤野七穂って人だな
ASIOS - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ASIOS

島津重豪って蘭癖で藩の財政を傾けたあの人か
シーボルトやティチングとの関係とか初めて知ったわ
誰がシーボルトに義経ジンギスカン吹き込んだのか、容疑者が色々いるなw
島津重豪 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E9%87%8D%E8%B1%AA

469: 名無しさん 2017/06/14(水) 08:06:01.89
・・・おい、それよりもよ。

ヤマタイ国はエジプトだった!とか、聖徳太子は4人いた。とか、日本列島
はムー大陸だった。なんて、お話をしよーぜ。

「 ○○と××とは=同一人物 」なんてお話は、江戸時代からあるけど。
例えば、松尾芭蕉=水戸黄門は同一人物だった。本当に諸国漫遊をしていた
とか、服部半蔵=千の利休は同一人物だった。とか、ベッキーと卑弥呼は
同一人物だった。とか、キミと俺とは同一人物だったとか。

474: 名無しさん 2017/06/17(土) 21:50:32.91
あと、一人二役その他の奇説珍説は色々読んだことはあるけど
これは面白いとかオススメとかなると、うーん

藤本泉(推理作家)の「源氏物語の作者は紫式部じゃなかった!説」
(著作は『源氏物語99の謎』その他)
まあ言われてみれば確かにそうかなという感じだったし
学者さんも敢えてそこには触れないことにしてるらしいし

「楊貴妃は殺されず日本に亡命したんだよ!説」
説の詳細は和久峻三『楊貴妃幻想殺人旅行』これ一冊で十分
意外と面白いとは思うけど、今更追求しようも無いのが難点

「大塩平八郎は死なずに天草から大陸に逃げ延びたんだよ!説」
これ話がやたら具体的だから戦前に天草で現地調査やってるんだな
だいぶ前にネットで読んだけど結局該当者見当たらずで終わってた

フランス鉄仮面は有名だけどロシアも似たような話があって面白い
桐生操「亡き皇帝に生き写しの男」
https://books.google.co.jp/books?id=ZQ8OkqbPR9kC&pg=PT15&lpg=PT15&dq=%E4%BA%A1%E3%81%8D%E7%9A%87%E5%B8%9D%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E5%86%99%E3%81%97%E3%81%AE%E7%94%B7

475: 名無しさん 2017/06/17(土) 21:57:21.95
あとは写楽別人説(一人二役説)とか

高橋克彦『写楽殺人事件』
渡辺保『東洲斎写楽』
明石散人『東洲斎写楽はもういない』
島田荘司『写楽 閉じた国の幻』

これらは浮世絵自体にほとんど興味や知識が無い俺でも楽しく読めた本
高橋は確か乱歩賞受賞作、秋田蘭画とか知られざる江戸期地方文化の話が面白かった
渡辺は説そのものより江戸の町を彷徨いあれこれ探し歩く感じが読み物として面白い
明石は博覧強記&物量大作戦で写楽の正体探し(別人説)を実質終わらせてる
島田は明石以降に敢えて挑んだ最大最後の一人二役説、もちろん超トンデモw

476: 名無しさん 2017/06/17(土) 22:01:09.71
「シベリア・ヤクート死の谷の大鍋」

これはまあ義経も遺跡ある(ことになってる)シベリアつながりということでw
この話の日本での初出は並木伸一郎『謎の怪事件ファイルX 海外篇』
この本、並木先生だし他の事件は全然覚えてないアレな内容だけど
ヤクート大鍋案件だけはスゴかった、忘れられんw
シベリア奥地に眠る奇怪な超科学の謎物件をナントカ教授の詳細現地レポで淡々延々と紹介
こんだけ具体的なら誰かもっと調べるだろ、なんか続報無いのかよと長年思ってたけど
実際やってたんだな、取り上げてくれてありがとうオカクロw

ヤクート死の谷の謎―永久凍土に眠る大鍋
http://okakuro.org/yakutia/

478: 名無しさん 2017/06/22(木) 06:17:03.34
高井忍「蒙古帝の碑」について
蒙古帝の碑でググると、東北にある蒙古の碑が出てくる
燕沢碑は偽作説があって面白い、同じ東北の碑石だと蛇田道公古墳や多賀城碑も後世の捏造説があるね
この辺が「蒙古帝の碑」の発想元なんじゃないかなと思う

蒙古帝の碑 - Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E8%92%99%E5%8F%A4%E5%B8%9D%E3%81%AE%E7%A2%91
燕沢碑 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%95%E6%B2%A2%E7%A2%91

487: 名無しさん 2017/09/20(水) 16:27:00.81
>>478
間宮林蔵は大陸へ渡って
義経の史跡を本当に探していたらしいから
それが元ネタなんじゃない。

480: 名無しさん 2017/08/07(月) 10:02:10.15
この説の弱点といおうかツッコミどころは
義経とジンギスカンを直接結び付ける証拠はないから
源平合戦やその後の権力争いで死んだことになっているけれども疑いの余地がある武将は
誰でもジンギスカンの前半生だったことに仕立ててしまえるし
逆に義経が死んでから表舞台に出てきた人間なら
誰でも義経の後半生にこじつけられてしまえること。

481: 名無しさん 2017/08/10(木) 07:52:39.12
>>480
ですね。
だから、歴史の定説にはなり得ないし、逆に異説として残るんでしょうね。

482: 名無しさん 2017/08/18(金) 00:06:44.86
万が一、義経=チンギスハンだとして、世界史上同じような例ってあるのかな?
一人二役が共に有名人というか英雄で、かつ違う国の民族っていうパターンは。

483: 名無しさん 2017/08/18(金) 00:09:25.75
>>482は史実だけじゃなく伝説も含めてね。

488: 名無しさん 2017/09/24(日) 11:42:20.61
>>482
マルコポーロの東方見聞録の共同編集者ルスティケロと
エドワード1世の廷臣であったルスティケロは同一人物という説がある
アーサー王や円卓の騎士、聖杯伝説を著した人物
この辺は憶測になるが、エドワード1世の命で獄中に潜入したのかも

489: 名無しさん 2017/09/26(火) 00:19:54.92

484: 名無しさん 2017/08/22(火) 14:56:37.18
義経が平泉から脱出して大陸に渡りジンギスカンになった

信長が本能寺から脱出して大陸に渡りジンギスカンになった

明智光秀が山崎の合戦で敗走し大陸に渡りジンギスカンになった

豊臣秀頼が大阪城から脱出して大陸に渡りジンギスカンになった

天草四郎が原城から脱出して大陸に渡りジンギスカンになった

安徳天皇が船でそのまま大陸に渡りジンギスカンになった

坂本龍馬が近江屋から脱出して大陸に渡りジンギスカンになった

西郷隆盛が城山から脱出して大陸に渡りジンギスカンになった

485: 名無しさん 2017/09/20(水) 00:09:19.92
杉目小太郎とか杉目太郎が義経の身代わりと言う説は
どうなんだろう?

492: 名無しさん 2017/11/08(水) 05:58:16.11
>>485
あれ、墓の実在やら話が出来過ぎてるし
いかにも後世の創作としか思えないわ

486: 名無しさん 2017/09/20(水) 05:39:07.24
源氏の血を引く人のY染色体と、チンギスの血を引く人のY染色体の、
DNA鑑定をやれば、結論が出るだろうって。

491: 名無しさん 2017/11/05(日) 21:56:14.23
>>486
いくらDNA鑑定をやっても、チンギスハンは義経ではないという証明はできない。
両方の末裔は滅んでいるから、確かにY染色体を受け継いでいるという確証が持てない。
もし、それらしき人物が見つかったとして、どちらもD系統でYAP遺伝子を持っていたら、説はかなり濃厚にはなるが。

490: 名無しさん 2017/10/27(金) 16:35:37.35
『成吉思汗の秘密』を改めて読んだが
こいつは推理小説としてもねーよ。
なんで傑作あつかいされているんだ? むしろケッサク。

都合の悪いことは文献が信用できないといって押し切っているだけだし
義経が大陸へ渡ったのも、ジンギスカンになったのも、
証拠は何もなくても百パーセント有り得ないとはいえない!で事実認定している。
いや、それは悪魔の証明だろ。推理にも何にもなってないだろ。

清の皇帝一族がうやむやのままジンギスカンの子孫になっていたり
モンゴルに巴御前みたいな女豪傑がいたことまで
ジンギスカンが日本人だったからだと説明されていたりして
ツッコミどころが多すぎる。
小説で書くんだったら、隆慶一郎の『影武者徳川家康』(徳川家康別人説)や
宇月原晴明の『黎明に叛くもの』(松永久秀イスラム説)みたいに
トンデモ設定の歴史小説の形で書いた方がよかったんじゃないか。

493: 名無しさん 2017/11/09(木) 19:33:14.48
「源義経=チンギス・ハーン説」の真相は?現代の医師が解説|AERA dot. (アエラドット)
https://dot.asahi.com/dot/2017103100068.html
https://dot.asahi.com/dot/2017103100068.html?page=2
いずれの研究でもこのY染色体は、日本人には全く見られない。この事実から、同時代の軍事的天才だった九郎判官、源義経が平泉を脱出し蝦夷から大陸に渡り、チンギス・ハーンになったという伝説は否定できる。

494: 名無しさん 2017/11/09(木) 19:52:44.28
【悲報】チンギス・ハンが源義経ではないことが確定
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1509598436/

512: 名無しさん 2018/05/04(金) 08:17:35.71
wikiでたまたま義経伝説の記事見つけたけど
少なくとも北東北沿岸にのこると言われる義経伝説・伝承地は
戦後なってから作家や郷土史家達が創作したフィクションが多数混在してる
遺物も義経とは無関係な物をわざわざ関連付けした物があるから注意ね
古文書も江戸時代どころか
古びた紙に昭和になって字が上手い人に書かせた物が混在してるはず

知人が義経北行伝説を広める運動をやってたのを見聞きしてたけど
歳で死んじゃったし>>494のDNA鑑定の結果もでてきたから
wiki使ったことないからここに書いとくわ
信じるか信じないかはあなた次第だけど

495: 名無しさん 2017/11/09(木) 23:25:49.73
>>493-494

あーあ、結論出ちゃった。
次はジンギスカンの子孫が本当にヌルハチだったかを
検証しないとな。

496: 名無しさん 2017/11/10(金) 21:09:06.31
シーボルトの捏造説大勝利

497: 名無しさん 2017/12/15(金) 13:03:21.24
源義経がチンギス・ハーンになったことより
源義経の子孫からヌルハチが出たことより

チンギス・ハーンの子孫からヌルハチが出たことになっている点について
中国人に聞いてみたい。

498: 名無しさん 2017/12/28(木) 14:00:38.02
モーニングで今更この説の漫画始まってワロタ

500: 名無しさん 2017/12/30(土) 12:22:51.71
>>498
これか、第一話が読めるな

【新連載】『ショート黒松』の新鋭・瀬下猛が描く一大叙事詩。一人の漢が世界を駆け回るスペクタクル新連載『ハーン 草と鉄と羊』、今週のモーニングにて堂々開幕!
http://morning.moae.jp/news/4081
ハーン 草と鉄と羊_瀬下猛
http://www.moae.jp/comic/khan?_ga=2.102213378.204672533.1514602671

501: 名無しさん 2018/01/15(月) 13:06:10.92
>>500
連載第2回(2018年04-05合併号)と第3回(06合併号)も読めるよ
http://manga-town.net/z/34/
もうジャムカと盟友になってる
10回くらいで終わりそうな速さ

502: 名無しさん 2018/01/20(土) 22:27:57.27
第4話も来た

503: 名無しさん 2018/02/01(木) 04:30:18.40
コンビニで第5話立ち読み
次回がちょっと気になる

504: 名無しさん 2018/02/06(火) 07:06:37.19

505: 名無しさん 2018/02/06(火) 07:11:36.41

506: 名無しさん 2018/02/11(日) 18:34:54.68

507: 名無しさん 2018/02/13(火) 00:42:14.23
『人生はリベンジマッチ』

名曲、ユーチューヴ検索

509: 名無しさん 2018/02/18(日) 09:14:59.99

511: 名無しさん 2018/03/09(金) 01:28:52.97

513: 名無しさん 2018/05/07(月) 08:53:09.23
元寇は高句麗渡来系比企氏の北条家への復讐陰謀説はどうなの?
フビライは日本とは友好を結ぼうと2回も国書を送っているんだろ
それを、比企氏が再三、攻め滅ぼすべきだと説得した

514: 名無しさん 2018/06/13(水) 22:14:24.78
どうなの?って言われても
それ電脳ナントカの人の主張だし
その人、極右とか国粋主義みたいな人だしね

515: 名無しさん 2018/06/16(土) 08:25:23.04
512です
亡くなった義経北行伝説を研究していた知人から
生前に譲られた物を整理したけど
よくよく見ると素人が見ても絶対ありえない内容の資料がいっぱいあった

岩手県内から北海道に続く義経伝承の地があるけど
どう見ても意図して手が加えられた痕跡が残ってる
解りやすい例は 明治時代に新しく創建された村社に
義経が立ち寄っていたり遺品を残したことになってる所がいくつもある
あと直接氏子から聞いた話では神社が本で紹介されるまで
氏子自身が神社と義経伝説と関連があるとは知らなかったとか

知人は作家や郷土史家とも親交があって資料の提供をしてたけど
渡した資料その物の信ぴょう性がかなり低い物だったかも

知人とは地縁で知り合った間柄で
知人からもらった物には興味が薄くてよく見てなかったけど
遺品とは言え処分したらいいのか困りますね

516: 名無しさん 2019/03/18(月) 10:30:14.42
日本人が好きな日本の歴史上の時代
http://honkawa2.sak ura.ne.jp/3998.html
>昭和(戦後)がトップであるが前回より率は大きく低下。
>見直しブームを反映し江戸時代が2位に上昇。

年代別の藩校及び教科目の設置数
http://honkawa2.sak ura.ne.jp/3998a.html
>江戸時代、藩政改革とともに設置数が多くなった藩校。
>科目も初期の儒学から洋学など多様化。

戦後、日本の社会に大きな影響を与えた出来事
http://honkawa2.sak ura.ne.jp/2640.html
>3つまでの複数回答結果の上位は①東日本大震災・福島第一原発事故(55%)、
>②バブル経済とその崩壊(41%)、③高度経済成長(40%)の順

517: 名無しさん 2019/04/05(金) 09:48:45.34
吉成りて汗を思う

 
祖は清和源氏なり、よって国号を「清」とす。
 

518: 名無しさん 2019/04/15(月) 06:18:05.33
義経=チンギス・ハーン説が昭和に流布した理由が
八紘一宇、大東亜共栄圏思想と相まって日本がアジアを支配する根拠付けのための国策だった
という説があって非常に萎えたなあ
いかにもありそうだし当時の日本人ならやりそうだもの

519: 名無しさん 2019/05/01(水) 20:33:18.81
林修のニッポンドリル2時間SP★2
http://himawari.5ch.net/test/read.cgi/livecx/1556708348/

520: 名無しさん 2019/05/05(日) 00:30:20.41
日本の宣伝担当が外交上ヨーロッパに日本を知ってもらうために出版した創作話が元ネタ。

さまざまな理由で、海外ではあまりいい顔されないので自粛するように。

521: 名無しさん 2019/05/18(土) 12:09:24.17
ビザ無しで渡航できる時代にせよ、文明の利器無しで個人で赴くには遠すぎるよね

522: 名無しさん 2019/05/25(土) 17:55:19.47
北朝鮮の木船がたくさん流れ着いているから不可能じゃないと思うけど。
むしろ今よりも漁師らの腕や勘は確かだったかも知れない。

523: 名無しさん 2019/06/30(日) 13:38:37.73
判官贔屓というぐらい義経はちっちゃかった。
義経はどこに行ったのか、義経が生きてたらどうしても放っとけないと思うのだが、白鵬とかでかいんだよね。

524: 名無しさん 2019/06/30(日) 13:45:34.36
静御前はどうなるのか。

525: 名無しさん 2019/07/02(火) 00:15:55.13
何もないのに無理矢理にこじつけるのやめてほしかった。ロマンでもなんでもなく果てしなく無駄な時間を過ごしたと後悔が酷い。

526: 名無しさん 2019/08/24(土) 01:40:13.62
源義経も京では女性にモテモテで壇ノ浦の戦いの後で
平時忠の娘を妻にしたとか安徳天皇の母建礼門院に言い
寄って手籠めにしたという話があるから、チンギス・ハン
とは女好きで敵方の姫や妃を籠絡するところが共通してい
るというぐらいか。きっと別人だろうな。

527: 名無しさん 2019/09/08(日) 22:01:38.44
>>526
どこに書いてあった話?

528: 名無しさん 2019/09/14(土) 01:08:18.19
>>526
建礼門院と源義経の関係は頼山陽の小説、
壇ノ浦夜合戦記がソースだろ?

529: 名無しさん 2019/09/22(日) 10:27:09.51
幸福の科学の教祖大川隆法によると
中国の習近平国家主席はチンギス・ハンの生まれ変わりらしい。
そのチンギス・ハンはアッシリア王ティグラト・ピレセル3世
の生まれ変わりだそうだ。大川氏が何を言わんとしているのかは
大体想像がつく。

530: 名無しさん 2019/09/22(日) 18:41:27.19
>>529
どうでもいい。信者さんですか?

531: 名無しさん 2019/10/03(木) 01:44:29.96
NHK ダークサイドミステリー[終]
▽“怪しい歴史”禁断の魔力 あなたもだまされる!? あなたは信じてませんか?幕末夢のオールスター集合写真!?源義経は大陸に渡りチンギス・ハンに!?東北に幻の古代王朝が実在!?怪しい歴史を徹底検証!謎の真相に迫る。
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&ch=10&date=2019-10-01&eid=02708
https://megalodon.jp/2019-0928-1515-31/https://www4.nhk.or.jp:443/darkside/

534: 名無しさん 2020/05/26(火) 01:02:38.32
やはり、斜対歩が一番の鍵ですよね?

535: 名無しさん 2020/06/12(金) 23:18:42.51
白鵬がチンギス・ハーンの子孫であるって言う話は聞いていたが
その白鵬が去年、遺伝子検査を受けた時に「日本人、アイヌや沖縄人に多い遺伝子の持ち主」だと判明したそうな
義経=ハーン説はトンデモだろうが、日本人がモンゴルに渡り日本人の遺伝子を持つモンゴル人がいても不思議ではないと思うがな
逆に日本人だけど先祖を遡ればモンゴル人とかな

そういや義経も非力なチビだったようだが、同じく小柄でガリヒョロだった白鵬が日本で158キロの大横綱になったのを見ると
案外チビガリ義経がモンゴル帝国を築くってのもありえたのではw

536: 名無しさん 2020/08/02(日) 09:52:56.05
源義経は、チンギスハーンにはなっていないけれど、平泉藤原世界最強軍団はモンゴルに渡って、チンギスハーン軍団と併合してしまった。
だから、藤原軍団が開発した軍馬を斜対歩を側対歩に調教する方法を会得して世界征服を成し遂げた。

537: 名無しさん 2020/08/11(火) 10:45:06.29
平泉とチンギスハーンは繋がっているね!

538: 名無しさん 2020/08/13(木) 13:30:30.12
この説って、こんなこという人は日本人として恥ずかしい////これ違いますよ~///誤解しないで~///みたいなのばかりネットで見るなw

俺は胡散臭せーオカルトみたいな話を聴いて気持ちよくなりたいんだよ!

539: 名無しさん 2020/12/21(月) 17:34:59.94
大多数の日本人が骨董無形な与太話扱いしかしてないし
チンギスみたいな侵略しまくって虐殺しまくった屑と義経を同一人物扱いすんなよ
義経アンチが義経を卑しめる為にやってるようにしか思えなくて不快だ

540: 名無しさん 2020/12/26(土) 13:19:09.34
実話ナックルズGOLDミステリー - 大洋図書 版元ドットコム
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784813029885
http://www.hanmoto.com/bd/img/9784813029885.jpg
> 2020年12月9日
> 紹介
(中略)
> 源義経=ジンギスカン説の謎に迫る

541: 名無しさん 2020/12/29(火) 23:34:21.56
>>540
「源義経=ジンギスカン説の謎に迫る」
文・取材/原遥平
(P82~85)
https://i.imgur.com/Rq9wPDp.jpg

542: 名無しさん 2021/01/13(水) 22:33:13.47
源氏は北魏太武帝の始祖から分かれた氏族
ハーンは北魏太武帝の始祖が名乗っていた君主号
鮮卑が元祖

543: 名無しさん 2021/01/18(月) 17:02:16.14
>>542
源氏は清和天皇の六男である貞純親王の子供(清和天皇の孫)が臣籍降下されて源経基になったのが始まりだし
でたらめな嘘ついてんじゃねえよ。

544: 名無しさん 2021/02/08(月) 08:10:49.04
麒麟がくる:衝撃ラストに視聴者騒然「光秀生存説」に含み ドラマCPは明言せず
2021年02月07日
https://mantan-web.jp/article/20210207dog00m200025000c.html

546: 名無しさん 2021/12/04(土) 00:32:32.31
10年以上前に平泉から岩手の海岸沿いに義経の足跡をたどるツアーにいったこたがあるんだが
義経が残したといわれる遺品がどう見ても新しすぎたな
小説の伏線や都市伝説てきな流れならフィクションとして楽しめたが
誰かが無理矢理史実らしく作ってるのが見え見えで途中から飽きてきた
釜石で食べた海鮮ラーメンが美味かったのが救いではあった

547: 名無しさん 2021/12/20(月) 20:02:17.74
もう話してもいい時代かもしれないが、義経が立ち寄った地の殆どには、タコ部屋や大陸から連れてこられた強制労働者の集落や軍事基地があったと土地の古老から聞いたな。
ざっくり調べたら、世界遺産に登録された釜石橋野鉱山や宮古田老のような戦争前からの鉱山や製鉄所が数多くあって、近くの神社には義経が立ち寄った伝説が残っている。
大陸に思いを寄せる強制労働者や人身売買された人々ような社会的弱者のより所となって創作されたのかもしれないし、国威発揚の名残がその地に残って伝説と化したのかもしれん。
当然それ以前から義経チンギス・ハン説はあったわけだが、アイヌの地に義経伝説が残っていたりと、時代が代わるにつれて色んな人々によって語りつがれたんだろうな。

549: 名無しさん 2022/03/26(土) 23:09:33.71
義経は生きて北へ逃れた?―蝦夷地から成吉思汗まで―⑬
https://www.esashi-iwate.gr.jp/bunka/column/092/
義経は生きて北へ逃れた?―蝦夷地から成吉思汗まで―⑭
https://www.esashi-iwate.gr.jp/bunka/column/093/
義経は生きて北へ逃れた?―蝦夷地から成吉思汗まで―⑮
https://www.esashi-iwate.gr.jp/bunka/column/094/
義経は生きて北へ逃れた?―蝦夷地から成吉思汗まで―⑯
https://www.esashi-iwate.gr.jp/bunka/column/095/

550: 名無しさん 2022/03/26(土) 23:10:44.49
義経は生きて北へ逃れた?―蝦夷地から成吉思汗まで―⑰
2022年3月6日
https://www.esashi-iwate.gr.jp/bunka/column/096/
館長コラム – えさし郷土文化館
https://www.esashi-iwate.gr.jp/bunka/column/

551: 名無しさん 2022/06/01(水) 09:17:39.47